2015年9月13日日曜日

手段としての無差別テロ

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2015年9月 13日「手段としての無差別テロ」


概要
アメリカ中枢同時多発テロ以降、「テロ」という言葉が多用されるようになった感があります。それによって「テロ」という語彙の意味が、多様化したように思われます。
つまり色々な意味で言葉が使われることで、言葉の意味が広くなったと感じるのです。かねてから「テロ」は、定義が明確ではなかったことも、意味が広がった理由の一つだと思います。
定義がはっきりしていなかったため、様々な意味で「テロ」という語彙が使われ、使われることで、語彙の意味の幅が広くなったのだと思います。
そして「テロ」という言葉が、頻繁に使われるようなった要因として、アメリカ中枢同時多発テロがあると思います。
俗にいう9・11は、全世界に強い衝撃を与えた出来事だったと思います。あまりにも衝撃的だったことが、それ以降「テロ」という言葉を多用するという、社会全体の傾向に繋がっていると感じます。
マスコミでは、視聴者や購読者に対して、脅威を印象付ける意図で、「テロ」という衝撃的な表現を使うことが増えたと感じます。
また政治家は、聴衆や国民に強く訴え掛けようという意図があるときに「テロ」という語彙を用いることが多いような気がします。
 それは世界的に見られる傾向だと感じます。「暴力的」「反社会的」「反道徳的」で、「無差別性」「強行性」「犯罪性」がある行為ならば、「テロ」という言葉を用いることあるように見えます。
日本では、北朝鮮による拉致を「テロ」だという趣旨の発言を見聞きするようになった感があります。
『拉致は悪しき行為だ』ということを、強く印象付ける思惑からだと思います。ただ「テロ」には含まれないのではないという声もあるようです。