2015年9月9日水曜日

浅はかな似非文明人

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2015年9月 9日「浅はかな似非文明人」


概要
クジラが高度な知能をもっていることや、苦痛を感じているということは、反捕鯨論の根拠としては、論理的とはいえないと思います。クジラと人間では、感覚器官も神経の伝達の仕方も、脳の処理の仕方も、違っていると思います。人間がクジラと同じように考えることも、人間とクジラと同じように感じることも、不可能だと思います。しかし人間は、勝手にクジラの考えや苦痛を人間と同じようにメージしていると思います。
 また『クジラを食するのは文化であるため、クジラを食べても構わない』という主張も論理的ではないと思います。
 食を文化という視点で見ると、生きるために食べなければならないというわけではありませんので、どうしても情緒的になると思います。
 社会が変化し続けていくなかで、『長い間、続けてきた』ということは、『これからも続けていく』根拠として論理的とはいえないと思います。
そんななか日本の『管理商業捕鯨』は、捕獲するクジラの種を限定し、捕獲数を厳格に管理することで、クジラの個体数が減少しないようにしていると思います。それは生態系の維持に繋がると思います。
ところで捕鯨反対論が聞かれるようになったのは、今から数十年前だったと思います。その時は、乱獲が問題視されていたように思います。
しかし『クジラは高度な知能がある』『クジラが可哀想だ』と情緒的な論旨が台頭し、挙句『クジラは神聖な生き物』に祀り上げるようになったと思います。
『捕鯨は野蛮人のすること』『文明人はクジラを守るもの』人心をなびかせる何らかの意図が介在したと感じます。
反捕鯨論は、あまりにも感情的になり、論理的は反論を無条件につっぱねるようになったと感じます。それは文明人のやることではないと思います。イメージに囚われた浅はかな似非文明人だと思います。
 イメージを金儲けに利用したポール・ワトソン氏は、下劣な偽善者だと思います。