2015年9月23日水曜日

クジラを祀り上げた文明人意識

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2015年9月 23日「クジラを祀り上げた文明人意識」


概要
日本の捕鯨によってクジラは絶滅が危惧されていると耳にしたのは、35年くらい前だったと思います。日本がクジラを乱獲し種の絶滅が危ぶまれるのなら、捕獲数を抑えるなり、一定期間捕鯨を中断するなりして、個体数の回復を図るべきだと思います。
批判に対して、当時の日本はあまりにも動きが鈍かった感があります。海洋資源の保護という観念が薄かったのかもしれません。政治的な思惑による“日本たたき”も加わって、日本の捕鯨に対する批判はどんどん強まっていったように思います。
次第に『クジラは賢い』という声が聞かれるようになってきたと思います。そして『クジラの個体数が減っている。だから捕鯨をしてはならない』という論旨が、『クジラは頭がいい。だからクジラを殺してはならない』に変わっていった感があります。
『クジラを殺すことは野蛮なことだ』『クジラは神聖な生物だ』もはやクジラの個体数や、生態系など、顧みられなくなっていると感じます。反捕鯨論は、どんどん感情的になったと思います。
現在の欧米人はクジラという生物に対してあまりにも“いいイメージ”を持っていると感じます。しかしそれは、数十年前つまり反捕鯨論が高まる以前とは、大きく違っていると思います。今では“いいイメージ”が定着してから生まれた世代も大人になり、かつてのクジラのイメージを全く知らない人も多く、『クジラは殺してはならない生物であり、クジラは食べるなどもってのほか』という観念が強く根付いているのだと思います。
 反捕鯨論が急速に感情的になったのは、文明人意識が関わっていると思います。
『文明人は、野生生物を保護するべきだという声を上げ、その活動をするべきだ』
 欧米で生まれ育った白人には、そのような観念が根付いている傾向がみられます。
しかし真の文明人ならば、自分の観念を他者に押し付けるべきではないと思います。それは野蛮なことだと思います。