2015年9月1日火曜日

作られた映像によって作られた正義

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2015年9月 1日「作られた映像によって作られた正義」


概要
「川口浩探検隊」は『大げさだ』ということは十分に承知しつつ、その『大げさぶり』を楽しんでいた感があります。
ドキュメンタリー番組ではなく『ドキュメンタリー風の娯楽番組』として、楽しんでいたように思います。そのように劇的な演出が施されたテレビ番組は、感情移入しやすいことがあると思います。
ドラマなどの完全な創作物ではないので、『自分が探検隊の一員だったら』という想像が掻き立てられやすいと思います。その空想は“ヒーロー気分”に通じていると思います。その気分が楽しく、心地よいものですので、『過剰な演出だ』と思考で認識しながらも、心理が引き寄せられやすいのだと思います。
シーシェパードも、劇的に過剰な演出した『ドキュメンタリー風のテレビ番組』によって、大衆を引きつけたのだと思います。
視聴者の中には、『自分がこの場にいたら』、という想像を掻き立てられた人もいたと思います。『悪者と戦う正義の味方になる』そんなイメージを掻き立てられた人もいたと思います。
 それに駆られて、真剣に『正義の味方ごっこ』をしている人たちが大勢いるようです。
 しかし大抵は、本人にその自覚はないと思います。むしろ『決して自覚してはならない』という心理が働いていると思います。
『正義の味方ごっこ』だと自覚してしまうと、『正義の味方』ではなくなってしまうからです。
“正義の味方気分”を堪能して楽しみ続けるには、『正義の味方ごっこ』であることを絶対に認めてはならないと思います。
それと『正義の味方ごっこ』を続けるには、『悪者を仕立てあげること』が必要だと思います。