2015年9月6日日曜日

パクリギャップ

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2015年9月 6日「パクリギャップ」


概要
デザイン、音楽、小説などの創作物だけでなく、主張や意見などの発言も「パクリだ」と指摘されることがあるようです。
他者が別の場所で発した言葉を、まるで自分の主張であるかのように主張したり、格言的な言葉や、語彙の使い方などに特徴がある主張などを引用したりすると、「パクリだ」と批判されることがあるようです。
 引用については、引用であることを断っておけば、多くの場合、問題ではないと思います。
 また創作物であれ、意見や主張であれ、意図せずに似ることは稀ではないと思います。
 どこかで目にした他者の作品や、過去の耳にした主張が意識の中にあり、意図せずにそれが創作や、論理構成に反映されることはあると思います。
 また、感性や考えが他者と同じようになることも、決して珍しいことではないと思います。
 つまり『似せた』という意識が全くないのに、似ることは稀ではないと思います。
 しかし人は、自分が創作した作品や、独自に構築した意見に対して『真似された』という意識を持ちやすい心理的な傾向があると思います。
『パクリ』に限ったことではありませんが、人間は些細なことでも、思いこむとそれを強めていく心理があると思います。
特に被害にあったと感じた時、被害者であるという意識を強める心理が働くような気がします。
それは善し悪しで論じことではなく、人間には誰にもそういう心理があると思うのです。
人間は『パクリじゃないのか』と思うと、『絶対にパクったに違いない』と、次第に思考を強めていく心理があると思います。
『パクった人』と、『パクられた人』との間には、大きな意識の差があると思うのです。
そしてそれが対立を深刻にし、事態を大きくすることがあると思います。