怒りは人間にとって必要な感情なのだろうと思います。
しかし社会をつくり、そのなかで暮らしていくには、怒りの感情は、なかなか厄介なものだと思うこともあります。
その一つに、怒りは嫌悪感や攻撃性と結びつきやすいことがあります。
嫌悪感や攻撃性は、社会における対立や争いを引き起こす理由になることがあると思います。
現代の人間社会では争うことそれ自体が、多くの人にとって不利益に繋がる場合が多いと思います。
しかし現代の社会において、人間は争いをやめられなくなっていると感じます。
人間の心が争いを起こしやすいようになっているのかもしれません。
思考と感情は連動するものだと思います。考えているだけで怒りが強まることも多いと感じます。
それに怒りは、それのときを思い出すことでも高まるものだと思います。
考えるだけ、また思い出しただけでも怒りは強くなるような気がするのです。
ここでは何度か書いていますが、怒りの感情は表に出すことでも増幅するような気がします。
表に出すことの一つに言葉として発することがあげられると思います。腹立たしいと感じた事を話すと、その腹立たしさが強まることはよくあるような気がします。
怒りを覚えた事柄について話していると、次第に態度や語勢が強まったり、荒くなったりすることはよくあることだと思います。
それに声に出さなくても、言葉で書き表すことでも、怒りは強くなると思います。
書き表すには考えなければなりません。
また、怒りを覚えた事柄を思い出さなければなりません。
怒りを覚えた出来事を考え、それを思い出し、言葉で表すのですから、怒りは相当に増幅しやすいような気がします。
そして現代社会は、さまざまな情報が飛び交い、だれでも手軽に主張を発することが出来るような気がします。その主張は書き表されることが多いように見られます。
腹立たしく感じたことを、発信するすべが身近にあるといえるかもしれません。
しかもそれを大勢の人が目にすることが出来るような気がします。
それによって、声はあまりにも大きくなることもあるように見られます。
あまりにも大きな声は、攻撃となる場合があるように思います。
時に一人を大勢でつるし上げ、袋叩きにするような状況になることもあるかもしれません。
また時に、意見が割れて二極的な言い争いになることもあるかもしれません。
ただ、怒りが嫌悪感と攻撃性を呼び起こし対立や争いを生むように、意見の対立が怒りと嫌悪感と攻撃性を引き出すこともあると思います。
人間の社会には、どちらが正解とは言い切れないことが多々あると思います。
どちらも間違いではない、またどちらも正しいといえる事柄もあると思います。
また、言葉で書き表せば同じ行動でも、状況によって道徳的である場合もあれば、そうではないこともあるような気がします。
しかし人は、他者の行いから腹立たしさを感じると、自分は正当であり、相手は不当、あるいは不道徳、または悪であると、決めつけてしまいやすいと思います。
そして自分がいかに不利益を被ったか、自分はどれほど正当であるかを主張することがあるような気がします。
その主張に、相手に対する嫌悪感や攻撃性が潜んでいることも少なくないと思います。
インターネットや携帯電話、スマートフォンのせいだと言い切ってしまうのはすこし雑な理論だと思いますが、今の社会は主張が氾濫することで、身動きが出来なくなっていると感じることがあります。
誰もが、自分では気づかいまま、寛容さを失っているような気がします。
誰もが、ゆるすことや、ゆずることが出来なくなっていると感じることがあります。
誰もが自分ではそれに気づいていないと思うことがあります。
誰もがゆるしあうことやゆずりあうことをなくしてしまう、それは自分自身をがんじがらめに締め付けているのかもしれません。
しかし今の社会は、まさにそのようになっていると感じます。
その締め付けはさらに強まっている印象があります。
「お互い様だよ」「そっちが大変なのはわかるよ」「まあしょうがないか」「我慢しといてやるよ」「これからは気を付けろよ」「今回は大目に見てやるか」「ここは、ゆずってやるよ」「今回はこっちが折れるさ」
そんな言葉が社会からなくなりつつあるような気がします。
しかし、誰もがそれに気づいてないような気がします。
自分がどれほど大きな不利益を被ったか訴え、自分の権利を求め、持論の正当性を主張し、一切の反論を聞き入れようとせず、反発を強め、攻撃性を高め続けるばかりだと感じることがあります。
それは間違いだと言い切れないのかもしれません。
しかし「お互い様だよ」「そっちが大変なのはわかるよ」「まあしょうがないか」「我慢しといてやるよ」「これからは気を付けろよ」「今回は大目に見てやるか」「ここは、ゆずってやるよ」「今回はこっちが折れるさ」などの言葉がまったく交わされなくなったら、人間の社会は崩壊するような気がします。