2014年1月26日日曜日

完全に壊れているCDプレーヤー


 高校生のころアルバイトをしたときも、社会人になってからも、ずっとラジオを流している職場で働いたことがあります。

 また、一日中音楽を流している職場もありました。

 思い起こしてみると、そのようなときに自然に耳に入ってきた曲を好きになっているような気がします。

 

 僕は積極的に音楽を聴くほうではありません。別に音楽が嫌いだというわけではありませんし、好きな曲もいろいろとあるのですが、自ら進んで音楽を聴こうとすることが少ないのです。

 思い起こしてみると、僕の音楽に対する接し方は、子供のころからそのようなものだったような気がします。

 テレビの音楽番組は好きでよくて見ていました。そこで頻繁に耳にする曲を好きになりました。しかしレコードが欲しいとは思わなかったような気がします。

 

 ただ、今までの人生で何度か音楽に凝った時期があります。

“凝った”度合いに大小はあるのですが、数年間、積極的に音楽を聴いていた時期が何度かあるのです。

 

高校生になったころニューミュージックをよく聞いていました。あのころ「ニューミュージック」をいう言葉が使われだしたのだと思います。

高校を卒業したころ、アメリカのポップスが好きでした。あのころはそれが世界的に流行っていたのです。

 若い社会人だったころ、日本のポップスのCDをよく買っていたころがあります。あのころ『バンドブーム』と言われていました。

 中年だったころ、再びアメリカのポップスが好きになりました。数年間だったと思いますが、洋楽のCDをよく買っていました。

 

 そのころのカセットテープやCDは今でも時々聴いています。

『最近の音楽より、昔の曲のほうがいいな』

『多感な時期に聴いていた曲は、思い入れがあるんだよ』

 そういう思いもあるのですが、それよりも音楽全般にそれほど関心が高くないので、新しい音楽を聴こうという意欲がわかないため、すでに持っているカセットテープやCDばかりを聴いているのです。

 

ただ、CDプレーヤーは随分前に壊れてしまいました。ずっとそのままになっています。つまり修理をしていませんし、新しいものを買ってもいません。

故障した時点で修理するほうが高くつくような古いものだったので、これからもCDを聴くには新しいものに買い替えることが現実的だったと思います。

そうしようと思わなくはなかったのですが、なんとなく買いに行きそびれた感があります。

オーディオがなくてもCDはパソコンでも聴けるのですから、『まあ急ぐこともないかな』と思っているうちに、“CDプレーヤーがない”という環境に慣れてしまったのだと思います。

 

ここでも取り上げたことがありますが、CDが売れない時代だと耳にします。

以前、人気アイドルグループのCDについている握手券と、むかし流行った仮面ライダースナックのカードが似ていると書いたような気がします。

改めて読み返さずに記憶だけで書きますので、勘違いや思い違いがあるかもしれませんが、握手券のために何枚もCDを買う人が大勢いるため、CDが売れない時代にあっても、そのアイドルグループのものは売れているということを取り上げたような気がします。

 

僕は音楽や、それを取り巻く事柄についてよく知らないのですが、デジタル化された曲はCDを媒体としなくても、聴くことが出来るのだろうと思います。

そう考えると、CDで音楽を聴く利点が小さくなったのかもしれません。

思い起こしてみると、レコードがCDに切り替わったのは、音楽を聴くにはCDに利点があったからだと思います。

今ではそのCDの利点が、インターネットやパソコンや音楽機器の変化などによって、小さくなったのではないかと思います。

 

何度か書いていますが、CDが普及してからも、レコードに対する需要が完全になくなったわけではなかったと思います。しかし資本主義経済の下では、たとえ需要があっても、それが小さかったり、大きかったものが小さくなったりしたら、供給が止められることがあると思います。

レコードはその一つだったような気がします。

 

音楽についてよくわからないので、これからのことなど予想できませんが、いずれCDもなくなるのだろうかと思うと、やはりなんとなく寂しいと感じます。

 CDの利点が小さくなったとしても、良い面がなくなることはないと思いますし、これを好む人もいると思います。

 紙の本も、紙の雑誌も、紙のカタログも、利点があると思いますし、それを好む人がいると思います。

 

 媒体が増えたということは、選択肢が増えたということになると思います。

 そうなると、見るに値しないと思ったものは見ない、読むに値しないと思ったものは読まない、それで済むと感じることもあると思います。

まして『お金を払ってまで』となると、選択しないのでなく、積極的に選択肢から除外することもあると思います。

 媒体が少ない昔でしたら、“これはどうだろう”と思いながらも『お金を払ってまで』読んだこともあったと思います。“その姿勢はおかしい”と感じながら『お金を払ってまで』見ていたこともあったと思います。

しかし現代は媒体が多くなっているのですから、他の媒体で事足りるようになっていると感じます。

 それに、一度見ることをやめたり、読むことをやめたひとが、再び『お金を払ってまで』見ようと思ったり、読もうと思うことは少なくなっているような気がします。