かつて、人気のラジオドラマの放送時間になると、銭湯から人がいなくなったそうです。
僕が生まれる何十年も前のことですが、過去を振り返るテレビ番組などで、何度も見聞きしています。
そのよう番組では、ドラマの人気の高さを話題にしていることが多いのですが、ラジオや銭湯が庶民の暮らしに深く根付いていた時代だったという印象を受けたものです。
『子供ころは、よくラジオで浪曲を聞いたものだよ』
若いころ、二回りほど年上の人から、そのような話を聞いたことがあります。もう随分前に交わした会話ですので、詳しい内容は忘れてしまいましたが、家族みんなでラジオを聴いている様子が思い浮かんだものです。
親と一緒に浪曲を聞いたことが、楽しい思い出となっているという印象を受けたのだと思います。
僕は物心ついたとき、我が家にはテレビがありました。ただまだ白黒でしたので、よその家でカラーテレビを見たとき、自分がイメージしていた色と違っていたことに驚いたことがあります。
たとえば、赤色だとイメージして見ていたものが、カラーテレビを見ると実は紺色だったということです。
また、テレビは一家に一台でしたので、大人も子供も同じ番組を見ていました。
子供だけでアニメを見ているときや、大人だけでニュースを見ているときもありますが、家族で時代劇を見ましたし、アイドルも演歌歌手もお笑い芸人も同じ番組に出演していて、それを家族みんなで見ていたのです。
僕の家だけではなく、多くの家庭がそのようにテレビに接していたのではないかと思います。
テレビは身近にある一家の娯楽だったといえるかもしれません。
テレビが一般家庭に普及する前、ラジオが“身近にある家族の娯楽”の役割を果たしていたのかもしれません。
上に書いたラジオドラマのことや、浪曲を家族で聞いていたという話を耳にしたとき、そのように感じたものです。
僕が子供のころ、家族で一台のテレビ見ていたように、かつては家族で居間に置いたラジオを聴いていたのだろうと思ったのです。
ただ僕が子供のころは、ラジオは身近なものではありませんでした。
ただその後、ラジオを聴く機会が多くなりました。学生時代は深夜放送をよく聞いていました。高校生の頃アルバイトをした職場では、ラジオが流れていました。社会人になったころも、ラジオを流している職場がありました。
僕が免許をとったころ販売されていた車は、カセットデッキのオーディオはオプションだったものが多かったものです。
しかし、AMラジオだけはほとんどの車種に標準装備されていました。僕はAMラジオもついていない車に乗っていたこともありましたが、職場の車ではラジオを聴いていたものです。
そして今も時々ラジオを聴いています。
かつてラジオは一家団欒を彩るメディアだったのだと思います。
しかしその座はテレビにとって代わられたような気がします。
そして今では家族の暮らしも多様化したと感じます。
ゲーム、インターネット、スマートフォン、様々な機器や媒体が急速に世に出てきていると思います。そしてそれらが急速に広まっている印象があります。
ただ、それでもラジオはなくなっていません。
冒頭に書いたラジオドラマが人気を博していたころに比べてれば、ラジオの普及率は随分と低いのだろうと思います。
それは複数の媒体が世にあるのですから、比率が下がるのは当たり前だと思います。ラジオだけしかない時代、ラジオとテレビがある時代、ラジオとテレビとインターネットがある時代、だんだん比率が下がっていくのは仕方ないとうか、当然のことだと思います。
それでもラジオがなくならないのは、ラジオにはラジオの利点があるからだと思います。
そのラジオの利点を求める人が、ある程度存在し続けているからだと思います。
それは他の媒体でも当てはまるような気がします。どれだけ映像媒体や音声媒体が発達しても、活字媒体はなくなっていないと思います。
録音機器や録画機器が進化し普及してきても、本はなくなっていないと思います。
遠い未来のことはわかりませんが、まだ当分の間、本がなくなることはないと感じられます。
また、紙媒体の需要がなくなることはないような気がします。
本や雑誌やカタログなど、紙には紙の利点があると思います。
それを求める人が、いなくなることはないような気がします。少なくても、当分先のことだと思います。
多くの媒体が世にあるのですから、以前に比べたら利用する人の数が減るのは当たり前のことだと思います。別にラジオや本やテレビが嫌いなわけではなく、他の媒体を利用することで選ばれないことがあるのは仕方ないと思います。
また、この国には人口減少の問題があります。ただ比率が下がっても、利用者数が減っても、ラジオや本やテレビを好む人がまったくいなくなることはないような気がします。
そんな社会では、選ばれないのではなく、積極的に選択から除外されることのないようにしなければならないのかもしれません。見たくないと思われたり、読むに値しないと判断されたりしたら、その人はなかなかその媒体に帰ってこない、今はそんな社会だと感じます。