2014年1月21日火曜日

無意識の変換


今の日本は世界で薄らいだ存在感を、再び高めようと躍起になっているような印象があります。

 国全体にそのような雰囲気があると感じます。

 

日本が国際的に存在感を弱めたのは、内政における対立が大きな理由だったと思います。かつての経済大国も、国内の景気は低迷し、政治は際限なく対立をするばかりになっていて、それを世界中にみせていた印象があります。

それでは他の国の日本に対する見方が変わるのは当たり前だと思います。直接的な表現はされなくても、日本の印象は軽んじられるものだと思います。

 

そんななかにありながら、日本の政治家は内政の対立に心血をそそぐばかりで、外国との関係にかまけていられなかったように感じられます。

それでは、外国から見た日本の印象をさらに軽くすることになるような気がします。

日本から軽く見られていると感じている人が多い国では、それを逆転させたい心理が強まることがあるような気がします。

 

そんな国の経済が急成長しているなら、その国の人たちの自尊心も高まると思いますので、日本に対する対抗意識や、嫌悪感が強まることもあるだろうと思います。

また、日本から軽く見られていると感じている人が多い国の経済が伸び悩み、政治に対する批判が高まっていたなら、日本が弱っている今こそ商売で蹴落としてやろうと考えるかもしれません。また、日本の影が薄くなった今こそ叩き時だと思う人がいるかもしれません。

 

日本はそのような周辺国の変化に対して、あまりにも何もしてこなかったと感じられます。

そうなる前から、目を配り、気を配っておく必要があったと思います。

隣国の雰囲気の変化を早期に察知していれば、対応のしようがあったような気がします。

しかし、政治の対立とそれによる内政の混乱と停滞で、政治家はそれどころではなかったと感じます。

 

周到さのまったくない外交は、関係をさらに悪化させたような印象があります。

 どの国も感情にまかせた行動ばかりが目に付くようになり、それは相乗効果で怒りと嫌悪を増幅させていると感じます。

そこに戦略性など皆無だと思います。相手をねじ伏せるために戦略だと思い込んでいる人がどこの国にもいるようですが、それは感情に主導されている思考であり、現実的かつ論理的な思考に基づくものではないと思います。

考え方自体は幼稚園児の喧嘩と本質的に変わりがなく、それは戦略性とはいえないような気がします。

しかし大抵の場合、そのような指摘をされても、反発し、むしろ怒りの感情を高ぶらせ、さらに無益な行動に出ようとするものだと思います。それも幼児的だと感じます。

 

早くから注意を向け、早い段階で分析し、対応していけば状況は大きく変わっていたかもしれません。そうするべきだったと思うのですが、この国の政治家はそれどころではなかったような気がします。

その“それどころではない”が始まったころに政治の中心にいた人が、それによる影響がよくない形で高まったころに、再びその座につき、無策ゆえに深まった溝をさらに深めようとするばかりであるように感じられます。

 

ただ思考が感情にひかれるのは政治家だけではないと思います。

怒りの感情や、嫌いだという気持ちをぶつけられて、同じ感情を増幅させてぶつけたがっている人が少なからずいるようにみられます。

その心理は意識的であれ、無意識であれ、政権の支持率に反映されているように見られます。

 

ただそれだけではなく、多くの国民が“もうあんな政治の混乱と停滞は勘弁してもらいたい”と感じているような気がします。

内政の不毛な対立が、国際的に日本の影が薄くなった大きな要因だと多いますが、国民の目には実際の状況ほど大きな失点に見られていないような気がします。

 

それよりも、政治の対立は国内の雰囲気を悪くし、混乱や停滞を印象付けていたように思います。

多くの国民はうんざりして『もういい加減にしてくれ』と感じていたように見られます。しかしどれだけ『いい加減にしてくれ』と言われても、政治家たちはいい加減にしなかったように見えます。

それでは“うんざり”は高まる一方だったような気がします。 

 

そして、安定した政治体制を求める心理が強まったと思います。

 その心理が選挙制度と相まって、一つの政党が圧倒的議席数を獲得することになったとみられます。

“いい加減にすることが出来ない政治家”ばかりなのだから、不毛な対立のない政治体制をつくるには一党が過半数を与えるしかない、そのような意識が感じられます。個人的には、ほかの方法もあると思いますが、与党が安定多数をしめる議会は、とてもわかりやすい形だと思います。

 また、リーダー一人がどんどん進めてしまうことも、とてもわかりやすいと思います。

 それが支持率に表れているような気がします。

 そう考えるとこの支持率は“過去の反動”という側面が強いのかもしれません。

ただ多くの人たちは、“過去の反動”を今のリーダーに対する“好ましさ”に、無意識に変換しているようにも感じられます。
つまり心の深い部分では、その人に対する支持ではないということです。多くの人が色々なことに気づいたとき、大きな変化があるかもしれません。