2014年1月27日月曜日

また作るの


 この国では数年間、政治が混乱していたと思います。毎年、首相が変わっているのは、それを端的に表しているといえるかもしれません。

政治の混乱ぶりを、非常にわかりやすい形で世界中に示していたと感じられます。

 

世界には、ずっと日本から見下されていると感じていた国があるかもしれません。日本の政治が混乱し経済が低迷したとみるや、鬱積したものをぶつけてやりたくなるかもしれません。

その国で財をもつものは、商売敵を引きずりおろすことに、その鬱積を利用しようとするかもしれません。

またその国の政治家は、自分の権力のために、その鬱積を利用しようとするかもしれません。

しかし鬱積した感情は、個人の内面にしろ、国全体にしろ、思惑通りに制御し、操縦することなど出来ないと思います。

結局、国にとって利することはないようにみられます。

それでも収めることも、引っ込めることも出来なくなるばかりに感じられます。

 

 それにしても、日本の数年間の政治は、外国から“醜態”とも受け取られかねず、それが外交上非常に多くの不利益になったように感じられます。

  しかも政治家は内政にかまけて、外交に対する意識が低かったという印象があります。それが今でも尾を引いている感があります。

 

外交だけではく、内政や経済など、あのころの政治が、国にとって多くの不利益をもたらしたと思います。

それは過去を振り返っているだけでなく、当時から感じていた国民も少なくなかったと思います。

『いい加減してくれ』とか『もううんざりだ』という声は、当時から発せられていたと思います。

 

その思いが、今の政治に対する感じ方につながっていると思います。

『また、あんなダメな政治になっては困る』という思いが『やはり政権は安定してないと』という考えにつながり、与党が安定多数を占めている状態に対して、好ましい印象を抱いている人が多いように感じます。

 

 ただ個人的に、これは民主主義を掲げる国の政治のありかたとして、前進しなかったように感じます。

せっかく苦労したのに前に進まず、元に戻ったように見られるのです。

“それでいいじゃないか”という見方もあると思いますが、あの混乱と停滞は、政治のあり方を進化させる機会になりえたような気がします。

 

 社会は常に移ろい続けていると思います。そうなると、政治の形も今まで通りでは適さなくなることもあると思います。

 また、日本人はなにかにつけて、他者と同じことをすることが正しいことだと認識しやすい傾向があるような気がします。

しかし他国の議会の形が、現在と未来の社会に合っているとは限らないと思います。

真似るのではなく欧米に先んじて、よりよい政治の形を作りだす、それを目指したほうが、国の栄えのためになるように感じられます。

 

しかしそれはそれでとても難しいことだと思います。難しいことをするには、政治家に才覚が必要だと思います。

政治家に才覚があれば、そもそもあのような混乱や停滞にはならなかったのかもしれません。その政治家の主だった顔ぶれは、あまり変わっていないように見られます。

そう考えると、今の政治は安定しているという漠とした印象をもっている人も少なくないのかもしれませんが、そうとは言い切れないかもしれません。

 

そこで、数年間つづいた政治の混乱について振り返ってみます。

国会がねじれていたことや、与党に党内をまとめる能力がなかったことなどが思い出されます。

ただ、その根っこにあるのは、政治家が政争を続け、政策をその道具にしていたことがあると感じます。

それは議会政治の原則に照らすと、逆さまだという気がします。

 政策を実現するために政治家が争う、そうあるべきだと思います。

 

『政権交代可能な野党勢力を作る』いう言葉を耳いしますが、学ばないというか、懲りないというか、時代についていけてないような印象を受けます

 政権交代可能な野党勢力は過去に何度か作られているような気がします。そして政権交代も果たしたとみられます。そしてまた政権交代したように見られます。

 そんなに二大政党制がこの国に適していると考えているのなら、せっかく作った大政党を維持するべく、あらゆる手を尽くすべきだったと思います。

 

 再度、政権は変わりましたが、今でも最大野党ではあるのですから、本当に二大政党制がこの国のためになる形だと考えるのなら、その政党を中心にして野党を再編し、大きな勢力を作ろうとするほうが近道だと思います。そういう動きならまだわかるのですが、また別の大きな野党を作ろうというのでは、同じことばかり何度も繰り返していると感じられ、過去に学んでないという印象を受けます。

 

結局、政治家の利害と権力のために作った大きな政党など、政治家の争いによって瓦解する、ここ数年それを見せられたような気がします。

しかしそれでも相変わらず、本来優先さるべき政策は、政党間の争いの道具に使われるか、政党内の争いの道具に使われているだけだという印象を受けます。

そのように感じられたのでは、国民の支持は高まらないような気がします。