2014年1月5日日曜日

人間を楽にするため


人類初の道具は何だったのか? 

 いろいろな説があり、さまざまな研究が行われているのだと思います。道具の定義や考え方からして、何通りかあるようです。

 それに、まだ解明されていないことも多いのだろうと思います。

 ただ人類は、道具を常に進化させてきたことは確かだと思います。

 

あらゆる道具は、多かれ少なかれ使い手になにかしら要求するものだと思います。技術や経験、知識、労力などです。

 どのような道具であれ、それらを一切持ち合わせていない状態では、使うことは出来ないと思います。

 

 多くの場合、道具は進化するほど使い手に対する要求は少なくなるものだと思います。

 何度か書いているような気がしますが、金づちを使って釘を打ち込むよりも、釘打ち機のほうが使い手にとっては簡単ではないかと思います。

 ただ釘打ち機を使いこなすには、それに関する技術や経験が必要だと思います。

 

 それにしても、道具の進化によって人間は“楽”になっていると思います。

ごはんを炊く場合、釜を使うよりも炊飯器を使ったほうが、知識や経験は少なくてすむと思います。

 衣類を洗う場合、洗濯板を使うより洗濯機を使ったほうが、労力や時間は少なくて済むと思います。

 つまり道具が進化することによって、使い手に対する要求が少なくなったと思うのです。

 

すなわち多くの道具は人間を楽にするために生み出され、また進化したような気がします。

ただそうはいうものの、道具の進化にはさまざま理由や成り立ちがあると思います。その道具一つ一つに成り立ちがあると思います。

人間を楽にすることには重きをおかずに開発された道具もあると思います。より高度な技術や知識を要求するようになる道具もあると思います。

人間に負担を要求するものの、今までは成しえなかったことが出来る機械があると思います。

 

かつての飛行機には暖房がなく、夏でも革のコートやジャケットを着ていたといいます。

また人類が宇宙に飛び出すための機械であるロケットは、人間に要求するものが非常に多く、また大きいという印象があります。

 

それにしてもあらゆる道具は、人為的な失敗が起こる理由が少ないに越したことはないと思います。

また、いろいろな人が使用できるに越したことはないと思います。

そのために、簡単に使用できるに越したことはないと思います。

また、快適に使用できるに越したことはないと思います。

そう考えると、道具の進化には、“人間を楽にする”という要素が欠かせないような気がします。

 

その点において、パソコンは進化しているのだろうかと考えると、おそらくそうなっているのだと思います。

ただ実感はあまりありません。何度も書いていますが、個人的にパソコンとは相性がよくないというか、性に合わないと感じています。

おそらくそれが先入観となって、心理に根付いているのだと思います。そのような先入観は増大しやすいものだと思います。

 

『パソコンは好きじゃない』とか、『性に合あわない』とか、『苦手だ』などの意識があると、なにか問題があるたびに、それが強まると思うのです。

ちょっとしたことで『つくづく性に合わない』とか『やっぱり苦手だ』となります。

その後に問題や不具合やあると、さらにその意識が強まります。

『本当につくづく性に合わない』とか『絶対に苦手だ』となるのです。

 

数か月前に、新しいパソコンを買いました。

『心から本当につくづく性に合わない』と感じました。色々なことがすんなりと進まなかったのです。僕の知識不足もあるのですが、『以前よりは簡単になっているだろう』という思い込みが事態を悪化させたと思います。

 

また、『時間があるときに少しずつ進めていこう』という思惑だったのですが、いざ仕掛ってみると、なかなかそうはいきませんでした。

思惑通りに進まないことは、苛立ちを引きおこすものだと思います。その苛立ちがパソコンに対する印象を良くないほうに引っ張ったように感じます。

 

手間と時間がかかりながらも、新しいパソコンは使用できる状態になりました。あれから何か月か時間が過ぎましたので、『パソコンは性に合わない』という意識も多少薄らいだような気がします。

もしあの時書いていたら、パソコンに対する言いがかりのような悪態を書き連ねたような気がします。そのテキストデータだけで1GBくらいは使ってしまったかもしれません。