「引き分け」の意味を国語辞典で引いてみました。「勝負がつかないとき、そのまま中止すること」とあります。
競技や遊戯には勝敗をつけるものが多いと思います。しかしときに、なかなか勝敗が決しない場合があると思います。
力が拮抗しており、いつまでも決着がつかない場合、ルールに則ったり当事者同士が話し合ったりして勝敗をつけないことを「引き分け」というのだと思います。
そう考えると“引き分け”は、競った末にあることだと思います。
「引き分け」は、結果の一つといえるかもしれません。双方が勝ちでもなければ負けでもない。そういう結果といえるかもしれません。
競技や遊戯だけでなく、争いや戦いも勝敗を決するために行われるものだと思います。
そして争いや戦いにも、なかなか勝負がつかないことがあると思います。
そうなると、争いや戦いにも“引き分け”があり得ると思います。
ただ争いや戦いを回避できたなら“引き分け”はないということになると思います。
争いや戦いは双方が多くのものを失うものだと思います。
だからこそ、双方が勝たなければならないのだと思います。『勝たなければならない』という思いを強めるのだと思います。
『我々は多くの犠牲を払ったのだ。いまさら引き下がるわけにはいかない。失ったものが無駄になってしまう。勝つまでやめるわけにいかないのだ』
双方がそういう思いを募らせるものだと思います。
そうなると争いは、なかなか終わらないと思います。
争いが終わらないために、失い続けることになることがあると思います。
失い続け、失ったものが大きくなるほど、争いを終わらせることが難しくなると思います。
争いが続くほど、どちらも“引き分け”などしたくないものだと思います。
『今さら引き分けなど出来るものか。いったい今までどれだけの犠牲を払ってきたと思っているんだ。最後の最期まで徹底抗戦だ』
そしてまた失い続けるものかもしれません。
誰もが失うばかりで得ていないにも関わらず、それを続けるかもしれません。
誰もがなにを得てなにを失うか考えることが出来なくなるかもしれません。
争いは続き、より激しくなっていくのかもしれません。
“引き分け”は争いの末にあるものだと思います。
対して“手打ち”は、争いや戦いのどの時点でも出来ることだと思います。
どの時点でも出来るのならば、“手打ち”は傷が浅いうちにやるべきことだと思います。
『もう後へはひけない』そうなってからでは“手打ち”は難しいと思います。
“手打ち”は出来るだけ早くやることが効果的だと思います。それだけ失うものが少なくて済むと思います。流れる血も少なくて済むと思います。
人間社会では、誰かが“総取り”することは少ないものだと思います。
その傾向は時代が流れるにつれて強まっていると思います。現代社会は複雑になる一方で、多様化する一方だと感じます。それは対立する要素が増え続けているといえるような気がします。
対立する要素があふれている現代社会では、勝者がすべてを得るということにはなりにくいと思います。
そうなると、“あくまでも総取りをめざす”と言って争っても、いつまでも決着がつかず、互いに疲弊するだけになることがあると思います。
“総取り”ではなく、得る量を減らしても、確実に得ることを目指したほうがいいような気がします。
“得る量を減らす”それはつまり相手にも与えるということになります。
歴史を振り返ると、どれだけ強大な帝国も永遠に栄え続けたことはないような気がします。そして、強大な帝国は内側から崩壊するものだという印象があります。
それは、なかなか避けられないことなのかもしれません。
強大な帝国に限らす、国が裂けることはあると思います。
それは、色々な事情や理由があると思います。ただやはり国が分裂するとなると、余程のことだと思います。
砕けることを防ぐ方法を考える必要あるのかもしれません。
その方法の一つに、“砕ける前に割る”ということがあるような気がします。
砕けるとその断面は、ギザギザになることが多いと思います。多くの破片が飛び散ることもあると思います。多くの粉がこぼれることもあると思います。
そうなるくらいなら、砕ける前に自ら丁寧に割ることも一つの方法かもしれません。
割り方にもよりますが、砕けてしまうより、断面はきれいになることもあるような気がします。破片が飛び散ることも抑えられることもあるような気がします。
諍いの果ての分裂では、敵対意識が残ることが多いと思います。平和的に袂を分かつことで、今後の協力関係を築くほうが、当事国も周辺国も得るものがあるかもしれません。
“総取り”が難しい今の世界では、お互いが得る道を探るほうが、結局は利益になるような気がします。