生き物が群れを作ることは、それ自体『生物として生き延びるための戦略』だと思います。
自然界というかこの世界は非常に複雑で、単体では乗り切れない困難が多々起こり得ると思います。
複数でまとまっていることで、その困難を乗り越えたり、困難から被る被害を少なく抑えたりすることが出来ると思います。
また多くの生き物は、他の生き物に捕食されるものだと思います。多くが捕食される生き物ほど、個体数が多いと思います。食物連鎖のピラミッド型構造です。
大きな魚やクジラに捕食される魚が、非常に大きな群れになっている様子を目にすることがあります。
多くが捕食されても、それよりはるかに多くが群れているように見えます。それが、種を残すことに役立っているのかもしれません。
生物には、『生物として生きるため、また種を残していくための戦略』があると思います。
食べる、身を守る、子供を産む、子供を育てる、などのための戦略です。
“群れる”ことは、その戦略として有効なのだと思います。
人間も群れをつくる生き物だと思います。群れる生き物だから社会を作った、あるいは群れていることで社会が出来たのかもしれません。
人間は群れ、社会を作った、それは生物として生きるための戦略といえるかもしれません。
そのように考えると、『群れのなかで暮らす戦略』も、生きるため、また種を残していくための戦略の一つだという気がします。
人間は社会を作る過程で、自然にそれを身に着けてきたのかもしれません。
人間にとって群れを作ることが、生き延び、種を残していくために有効であるなら、群れを維持することは、生きるために必要なことだといえるかもしれません。
つまり、人間は生きるために群れを守る必要があるということです。そのためには戦略が必要だと思います。『群れを守る戦略』です。
『群れのなかで暮らす戦略』も『群れを守る戦略』も、生きるためであり、種を残していくためといえるかもしれません。
人間は生きるため、子孫を残していくため、社会や集団に属しているといえるかもしれません。
そうなると、人間は生きるために、集団や社会が壊れないようにしなければならないのかもしれません。
社会は、人間という生物の“群れの形”といえるかもしれません。
その群れは、非常に複雑な構造をしていると思います。人間社会は複雑になる一方だと思います。社会のなかには昔から、多くの集団があり、色々な括り方があると思います。それがどんどん多くなり、一人の人間が複数の括り方の中に属し、集団同士も、個人と個人も、集団と個人も、多様に繋がっていると思います。
そんな複雑な構造では、まとめることが難しくなるのも無理はないと感じることがあります。
人間の社会では、集団を統率すること、集団を管理や運営や維持すること、それらが難しくなっているような気がするのです。
その傾向は強まるばかりだという印象があります。
そして感じるのは、“個人”の意識の強まりです。
群れを成す生物は、個々が生きるために群れに属することが有効なのだと思います。
人間は、一人ひとりにとって有益であるために、集団に属し、社会に属しているといえるような気がします。
しかし、複数の人間が集まることで、一人ひとりの利害が衝突することがあると思います。
“個人”と“全体”は相反することがあると思います。それは仕方ないことだと思います。
ただそれでも、人は社会に属しているほうが生きるには有益だと思います。それにこうして社会があるからには、そこから飛び出し、一切の関わりを持たずに生きていくことは、非常に難しいと思います。
そのように考えると、社会や集団を円滑に運営し、維持していくことは、個々の利益につながるものだと思います。
そして、社会を円滑に運営し維持するためには、“個人”を抑えることも必要だと思います。
また、社会を円滑に運営し維持していくためには、“個人”と“個人”の対立を収める手立てが必要だと思います。
近年、情報伝達技術の進歩も関わっていると感じますが、“個人”の意識が強まることで、集団を円滑に運営し維持することが、難しくなっているような印象があります。
“個人”の意識が強まること、それ自体は決して悪いことではないと思います。また、他人と同じであろうと必死なることはないと思います。
殊に日本人は、とにかくみんなと同じでなければ不安になる傾向がみられると聞きます。それには、昔からの村社会や鎖国などが影響しているのかもしれません。
ただ“和を重んじる”ことは、社会にとって良い面もあると思います。
集団がまとまりにくくなっている、現代だからこそ“和”が重要になっているような気がします。
個人を滅すべきではないと思います。ただそれと同じように集団を維持することも必要だと思います。
それには相反する面がある以上、どこかで折り合いをつけなければならないと思います。
人間は、それが出来なくなっているような気がします。そしてその傾向が強まるばかりだと感じます。
それを感じている人もいると思います。しかし自覚していながらも、半歩たりとも決して引こうとしない人もいるような気がします。