2014年3月24日月曜日

甘いものとしょっぱいものが嫌いなんですよ


 甘味には、人を引き付ける魔力があるのかもしれません。

『口のなかを常に甘くしておきたい』そう感じて、大量に甘いものを食べてしまうことがあります。

それは甘味が“好きな味”とか、精神的な面だけでなく、なにかもっと深いものがあるのではないだろうか、ふとそんな気がします。

 専門的なことはわかりませんのであくまでもイメージなのですが、甘いものに引かれるのは、人が生き物として生き延びていくためなのかもしれない、などと感じることがあるのです。

 

“甘み”自体が人を引き付けるものがあるのではないだろうか、という気がするのです。

あくまでも想像ですが、甘いと感じると脳になにか神経物質が分泌されるのかもしれません。

それが、『口のなかを常に甘い状態にしておきたい』という感覚を呼び起こすのかもしれません。

 

そんなことを想像していると、それは人間が生物として生きのびていくための機能かもしれないなどと考えが広がっていきます。

 糖分は人間の体を動かすエネルギーになると聞います。生物として生きていくためには、体を動かす燃料が必要です。

 生き物として生き延びるため、体を動かす燃料は、得られる時に、得られるだけ、得ておいたほうがいいだろうと思います。

そういう仕組みが体に備わっているのかもしれません。

 その仕組みが、『口の中を常に甘くしておきたい』と感じることかもしれません。糖分という燃料を食べられるときに、食べられるだけ、食べておこうとする仕組みです。

そしてそれは、生き物として本能的なことだといえるかもしれません。

 

そして、それは他の味覚にはないのではないかという気がします。

たとえば、すごく辛い食べものが好きだという人がいます。身近にも何人かいますが、『口のなかの辛さを途切れさせたくない』とか『口のなかを常に辛くしておきたい』などいう感覚はないそうです。

また、コーヒーなど苦いものや、黒酢など酸っぱいものを美味しいと感じることがあります。それが好きだという人も大勢いると思います。しかし好きな味でも『口のなかを常に苦くしておきたい』とか『口の中を常に酸っぱくしておきたい』とは感じないような気がします。

 

ただ“しょっぱくて美味しい”という味覚には、苦みや酸味よりも強く惹かれるものがあるような気がします。それは塩分が生きるために必要だからかもしれません。

 それに対して、苦みや酸味は、毒や腐っているものの味として、警戒するように脳が働くため、好きではあるものの、強く引き付けられることはないのかもしれません。

 

 そのようなことを考えていると、動物にも味覚があるのだろうかという疑問が湧いてきました。

 少し前に野生のサルに対する実験について書いたことがあります。

 その実験には美味しいエサと、まずいエサを使っています。あまり詳しいことは書かれていませんでしたが、エサの味に違いをつけるのですから、実験した野生のサルがどんな味を美味しいと感じ、どんな味をまずいと感じるのかわかっているのだと思います。

 

 考えてみれば、動物を取り上げたものを見たり聞いたりすると、多くの動物に好んで食べるものがあるといいます。

 つまり栄養素の摂取だけを目的として、食べるものを選んでいるわけではなく、“好み”があるという話を耳にします。

 それは即ち“味の好み”といわれることが多いようです。動物の“美味しい”という感覚がどのようなものかはわかりませんし、動物によって様々だろうと思いますが、なにかしら味を感じているのだろうと思います。

“味を楽しむ”という感覚があるのかわかりませんが、味覚をもっていることは、生物として生きていくための仕組みでもあるのかもしれません。

味覚は生物として生きていくための感覚のひとつといえるかもしれません。

 

 そういえば少し前のことですが、ゴキブリが甘い味を好まなくなってきていると聞いたことがあります。

 ゴキブリを駆除するものの効果が落ちてきたそうです。

 効果が落ちてきたのは、ゴキブリの中に甘いものを食べないものが現れてきたためだという研究があるそうです。

 ゴキブリ駆除剤には糖分を含んでいるそうです。そのためゴキブリは生物として生き延びていくために、“甘い味”を警戒するようになってきたのかもしれません。

 

 そう考えると、人間の味覚も変わるかもしれないという気がしてきました。

 たとえば、太りすぎは身体にとってよくないことが多いと聞きます。そうなると人間は、次第に甘いものや、脂の多いものを好まなくなるように変わっていくかもしれません。

 また塩分をとりすぎることも、体によくないといわれています。そうなると人間は、次第にしょっぱい味を好まなくなってくるかもしれません。

 それは人間という種を残していくための、生物としての変化といえるかもしれません。