“もしあの時、内戦が起きていた国に大国が軍事介入をしたらどうなっただろう”
何事も『もし』などと考えても不確定要素が無限にあり、『こうなっただろう』という説も無限にあると思います。それでは『もし』などと考えても意味はないかもしれません。
しかしあの時の“報じ手”や“論じ手”には、思考が感情に流されている人が多かったように感じます。
あれから時間が過ぎています。また、今は他の問題に意識が向けられています。そのため、当時よりは少し冷静に考えられるのではないかと思います。
『化学兵器を使ったことはゆるされることではない。だから独裁者をやっつけろ。それをやらないなんて腰抜けだ。間違いだ』
そういう声は少なからずあったような気がします。
そこで、もしあの時軍事力を使っていたらと想像してみます。
空爆など、限定的に軍事力を使っても、目に見える効果を出すことは難しかったと思います。
今の世界では、市民を巻き込む軍事行動は強く非難されます。攻撃を受ける側もそれを十分に承知しており、利用しようとするものだと思います。
市民を盾にしたり、民間施設を偽装して空爆させようとしたりするかもしれません。
また仮に的確な攻撃が出来たとしても、市民が犠牲になったように見せかけるかもしれません。
あの時の問題が化学兵器ということ鑑みると、空爆は非常に限定されざるを得なかったような気がします。
まして空爆で独裁者をやっつけるのは、至難だったような気がします。
そんな状況で、より的確な攻撃を行うには近づかなければ難しいと思います。つまり地上軍を派遣するということです。
過去にそのようなことを行ったように思います。それを思い返すと、大国にとっても、当事国にとっても、いいことはなかったような気がします。
それにあの時点で地上軍を送ることについては、多くの人たちが反対だったと思います。
空爆という限定的な軍事介入で内戦の状況がどのように変わるか想像すると、さらなる混乱を招くだけだったような気がします。
敵と味方が入り乱れているような状況では、仮に独裁者を倒すことが出来たとしても、戦闘は終わらないかもしれません。
そこで周辺から入ってきた勢力にも攻撃を加えたら、その勢力は反発し、対抗するために、さらに多くの武力が集まってしまったかもしれません。
それに、他の大国など利害が対立する国が何かしらの行動を起こしたと思います。軍を動かした可能性は低いと思いますが、ないとはいえないと思います。
なかったとしても、見えないように多くの武器を送り込むなど、陰からの支援が大きくなったかもしれません。
それでは内戦の終結は遠のくばかりだったかもしれません。
むしろ戦局は拡大したかもしれません。それどころか、もしかしたら飛び火したかもしれません。
次に政治的、また国際情勢において、“もしあの時軍事行動を起こしていたらどうなっていただろうか”と想像してみます。
大国がテロの標的にされる危険性が高まったかもしれません。
また、他の大国など、利害が対立する国から非難されたと思います。
その国との関係は悪くなっていたかもしれません。
空爆の規模や効果によっては、利害が対立する国のみならず、世界中から非難されたかもしれません。
こうして想像してみると、もしあの時、大国が軍を差し向けていたら、その大国にとっても、内戦が起きている国にとってもいいことはなかったと思います。
しかし当時は、そのようなことを考えず、『とにかく軍を動かせよ。悪いやつをやっつけろよ』という声があったような気がします。
感情的に発せられた声だと思います。しかしそういう声を発する人のなかには、感情によるという自覚がなく、冷静な思考による意見だと思いこんでいる人もいたと感じられます。
改めて内戦がおきている国のことを考えてみます。みなその国のことではなく、自国の利害しか見ていないような気がします。
また、当事国の国民も、他の国も、周辺から入ってきた勢力も、感情によって動いていることが多いような印象があります。
それが内戦の構造を複雑にし、収拾がつかない状況にしてしまった感があります。
そして内戦が続くことで、多くの人命が失われ続け、誰も得することはなく、みなが損を重ねるばかりになっていると感じます。
大国同士の思惑がぶつかり合っていることは、内戦を複雑化させた要因だと思います。
結局は自国のためであり、当事国のためではない、それが事態を悪化させたということです。
半島がある地域についても、その国や住民のことよりも、みなが自国のことばかり考えているように見られます。だから収まらないように見られます。だからぶつかり合いがはげしくなっているように見られます。