2014年3月10日月曜日

世界はあらゆる事柄が絡み合っている


 国と国との関係も、一国対一国という見方をするわけにはいかないと思います。

 また、外交、軍事、経済、も関わりあっているように思います。

 そんな世界では、考え方を柔軟にしなければならないと思います。

 

 領土であるか、隣国であるか、を重要視するのではなく、自国にとっての利害に視点を置くべきだと思います。

 複雑に繋がっている現代の世界では、領土にすることが必ずしも利益になるとは言えないと思います。

 今の住民感情を鑑みれば、強引に領土にしなくても、軍事的にも、経済的にも、利益を得ることは出来ると思います。

 

 また、対立は長引くほど、先鋭化し激化するものだと思います。そのため対立が長引くほど、収めることが難しくなると思います。

 対立が長引き、収まらなくなり、泥沼化し、もはやどうすればいいか誰も見いだせない状況になっているところがあると思います。

 そのようになったのでは、対立する双方にとって損が大きくなるばかりだと思います。

 現代の世界では、対立は早く収めるほど、損が少なくて済むと思います。

対立が長引くほど、損失が膨らむばかりだと思います。

 

 しかし、人間は何かとそれまでの観念を変えられないものだと思います。大きな権力をもっている人ほどその傾向が強いような気がします。

 大きな権力をもっている人は、大きな権力をもっているがゆえに長く権力の座についていることがあると思います。

 一人の人物が長く権力の座につくと、自分の考えが絶対的に正しいという観念を強める傾向があるような気がします。

ただ、世界は変わり続けていると思います。

それでも権力者は、自分の観念が時代遅れになっていることを認めようとしないものだと思います。

 

政治は大きな変化があると、その後に反動というか揺り戻しのようなことがあることが多いと思います。

かつて国民が強権的な政治に反発し、権力が集中している体制を拒み、大きく政治が変わった大国があったと思います。その国は以前の政治体制を彷彿する状態になっていると感じます。

そのような“揺り戻し”は世界のあちらこちらで見られるような気がします。

 

それは日本の政治でも感じられます。政権交代しても、なにもよくならなかったという思いが国民の意識や無意識のなかにあり、それが現政権の支持率に繋がっているように見られます。

前政権では与党は党内で権力争いをするばかりで、最大野党は政権を奪回することに執心するばかりで、政治は混乱し、停滞し、国民生活によくない影響をもたらしたという思いが、国民の意識や無意識のなかにあるような気がします。

今この国は難しい問題が多々あり、前政権時代のような政治では、問題解決どころか、国が沈んでいくばかりだという思いが、国民の意識や無意識のなかにあるような気がします。

それが現政権の支持率に繋がっているように見られます。

問題が多いからこそ、強いリーダーがいないと話がまとまらないという思いが、国民の意識や無意識のなかにあるような気がします。

また、隣の国に対してよくない印象が強まっているときに、今のリーダーが強い姿勢を見せていることも支持率に繋がっているように見られます。

ある意味国民が高い支持率を求めているといえるように気がします。

難しい問題が山積みしているのだから、支持率の低い政権では乗り切れないという思いが意識や無意識のなかにあるような気がします。

そのため支持率は下がりにくいように見られます。

ただだからこそ、国民の意識が変わったとき、支持率も大きく変わるかもしれないと思います。

 

 何十年も前のことは大切だと思います。ただこれから先のことも重要だと思います。何十年も前のことで対立している場合、決着をつけることは非常に難しいと思います。片方が証拠を突きつければ、もう片方も証拠を見つけてくるものだと思います。それを繰りかえすことで、対立は激化し、怒りや嫌悪感を高ぶらせ、収まらなくなるばかりだと思います。そして関係は悪化するばかりになると思います。関係が悪化することで、解釈の変更がやりにくくなると思います。この二つの国の雰囲気が険悪になるばかりでなく、この地域全体の緊張が高まることもあり得ると思います。そんななか解釈を変えると、大きい国が何かしらの対抗手段に出る可能性があると思います。軍事的な手段を使うこともあり得ると思います。公然と軍事的に対抗しなかったとしても、偶発的衝突の危険性が高まると思います。また、経済による影響も出かねないと思います。国として経済による対抗措置をとるかもしれませんし、民間や民衆による動きが経済に影響するかもしれないと思います。日本はこれからの時期に経済に対する悪影響があると、大きな打撃になると思います。友好国にしてみれば、この地域の味方を増やそうとしたのに、それがむしろこの地域の火種になってしまうこともあり得ると思います。そうなると友好国は巻き込まれざるをえないと思います。このタイミングで解釈変更をやるべきなのか、よく考える必要があると思います。しかし、信念だの悲願だの個人的な思いを国の重要な事柄にたいして持ち込んでいるせいか、「私」とか「閣議」とか「国会」などという言葉が飛び交っているような気がします。それは内々のことしか見えていないことの表れのような気がします。外の影響などまったく見えていないように感じます。外交、経済、防衛は深くかかっているものの、一つ一つに目くじらを立て、事柄が繋がっていることなど考えつかないような感があります。視野が狭く、思考が単純で、思慮が浅く、思考回路に戦略性がないような印象を受けます。仲良しばかりを集めているのですから無理もないかもしれませんが、そのような人物ばかりが集まっているような印象もあります。しかしこの国に限らす、人間社会では能力のあるものや高い資質を有するものだけが、政治の中心にいるわけではないと思います。それは仕方ないことだと思います。