2014年3月4日火曜日

幻想


 軍隊を動かしたことは、政治的には最悪なやり方だったと思います。

 軍隊を入れてから、住民投票が行われたのでは、当事国の主権を尊重したとは見られないと思います。そのようは批判を受ける理由を作ったといえるような気がします。

 また、連合が政変を後押したのだと非難しても、大国は軍隊を入れているのですから、まるで説得力がないと思います。

 軍隊を入れずとも、半島を味方に引き寄せるやりようはあったように思います。そうすれば世界中から非難されることもなかったとも思います。

 

軍隊を入れてしまったからには、何をいっても大国の思惑を強引に進めようとしているとしか見られないと思います。

それは大国だけが悪玉に見えてしまうということになると思います。それは政治的に大失敗だったといえるような気がします。

 政治的に大失敗をするということは、政治家として無能を意味するとみられるかもしれません。

 政治家としての無能ぶりを世界中に見せてしまったといえるかもしれません。

 

 ここで挽回するには、すみやかに軍隊を引き揚げるしかないと思います。しかしそれでも挽回しきれるものではないと思います。また、ここで軍を引くには、政治家としての器量が必要だと思います。おそらくそれがないから軍隊を動かしたのだろうと思います。

 

 また、ここで軍隊を動かすということは、混乱と争いの火種を持ち込むようなものだと思います。

 軍に対抗するには軍しかないという人もいると思います。しかしここで戦いが始まってしまうと、それは長く続き、簡単には収まらず、戦いは広がるかもしれません。

 戦いが始まらなくても軍がはいることそれ自体が、混乱を長期化することにつながるかもしれません。

 そう考えると、ここは同じやり方で張り合うのではなく、政治的な戦略性が重要だと思います。

軍を動かしたことが政治的に大失敗であるとするならば、それ犯した政治家はひとりだと見えるようにすることも政治的な戦略だと思います。

 

 権力には魔力があるのかもしれません。

 有史以来、あるはそれ以前から、権力に取りつかれた人物は数え切れないほどいるような気がします。

 権力に取りつかれたものは、永遠にそれを手放さないと、したがるものかもしれません。

 存命中はもちろんですが、自分がこの世から去った後でさえ権力者であり続けようとするものかもしれません。

 それが絶対に不可能だとは言い切れないかもしれません。しかし、強大な帝国が永遠に栄えることも、ひとりの人物が永遠の権力者になることも、可能性は相当に低いような気がします。

 そして、強大な帝国が崩壊する時も、絶大な権力者がその座を追われることも、内側からの力による場合が多いと思います。

 

選挙の不正や、政敵に対する直接的な攻撃など、このところの大国からは、かつての連邦時代を思い起こさせることを見聞きします。

それらに関して、国内に批判的な声が高まっていると聞きます。しかし、かつて連邦を崩壊させるほどの勢いには達していないようです。

それにしても次第に高まっていることは確かなようで、そのため抑え込もうとすることも増えていると聞きます。

今の権力者はその座についたときから、高い支持を受けていたような気がします。その支持は下がっているものの、今すぐ権力の座から降ろされるほどではないと聞きます。

 

かつて連邦が崩壊したのは、その強権政治を国民が拒んだことが大きかったような気がします。

そんな連邦だった時代を彷彿させるようなことが度々みられ、反対する声も聞かれますが、それがかつて連邦を崩壊させたほど高まらないのは、連邦が崩壊したとき、思い描いたようによくはならなかったという観念を持っている人も少なくないのかもしれません。それを意識している人もいれば、無意識のなかにある人もいるかもしれません。

その観念が、多少強権的であっても、強いリーダーを受けいれる気持ちに繋がっているのかもしれません。

 ただその気持ちにも陰りが見えてくるころかもしれません。

 永遠の権力者など幻想に過ぎないのかもしれません。そうなりたい人物の幻想であり、そういう人物を求める大衆の幻想なのかもしれません。

しかし幻想を求めるものは、自分では幻想だと気付かないものだと思います。気づかないからこそ追い続けるのだと思います。

幻想を追い続けるため、陰りを力で押さえつけようとするかもしれません。しかし押さえつけることで、陰りが闇に変わることがあるかもしれません。

それでも幻想を追うものは、立ち止まることも、引き返すことも出来ないものかもしれません。