最近、「気持ち悪い」という言葉の使い方が広がってきていると感じます。
「気持ち悪い」という言葉が”便利に使われている”とか“手軽に使われている”という印象を抱くこともあるのです。
そこで改めてこの言葉について考えてみると、手軽に使われるのは、大分以前から見られる傾向だったような気がしてきます。
かつて「気持ち悪い」という言葉は、体の調子を表すことが多かったと感じます。胸やけや吐き気などです。
かつて「気持ち悪い」という言葉で心の動きを表す場合、嘔吐を誘うような不快感に対して用いられることが多かったような気がします。嫌いな昆虫や動物の死骸などを目にしたときなどです。
それが不快感や悪感、嫌悪感など、好ましくない感情全般を抱いたときに「気持ち悪い」という言い方がされるようになったと感じます。
また、そのような好ましくない感情全般を感じる対象に対しても「気持ち悪い」という言葉が使われるようになったと感じます。
そしていつごろからか、“人間”つまり他者に対して使わることが急増したような気がします。「気持ち悪い人」の「人」が略された言い方だと感じます。
それがさらに縮められ、「キモイ」という言葉になったと感じます。
この「気持ち悪い」や「キモイ」は、反感や嫌悪感など、あらゆる好ましくない感情が込められていて、かつてよりも意味合いが広がっているような気がします。
しかしどれだけ意味合いが広がっても、悪い意味合いばかりだと感じます。
こうして考えてみると、以前「気持ち悪い」は、どちらかというと自分の内面的な要素を言い表すことが多かったような気がします。
それが次第に他者など、自分以外の事物に対して使われることが増えたような感があります。
そして他者を侮蔑し、攻撃する言葉として使われることが多くなったと思います。
最近「気持ち悪い」といういい方は、さらに使い方が広がっているように見られます。
不快感や嫌悪感だけでなく、上手く言葉で言い表すことが出来ないものの、なんとなく違和感を覚える場合にも使われていると見られます。
言葉では説明しにくいのだけど、なんとなく収まりがわるいとか、明確に批判できないのだけど賛同できないとか、なんとなくしっくりこないとか、どこか不適合に感じるとか、なにか不釣合いに感じるとか、どことなくぎくしゃくしているとか、なぜか好感がもてないとか、なにかいまいち納得できないという場合などにつかわれているように見られます。
「政治家の答弁は、今までと言い回しが変わっていて、なんか気持ち悪いな」とか「当局の対応は一貫性がなくて、気持ち悪かったんだけど」とか「この論評、非難しているみたいだけど、的が絞れていないというか、なんか気持ち悪いよ」などです。
また、合理的、論理的に批判できないものの、好意的な感情をもてないとき、嫌な相手だと言い表す端的な言葉として「気持ち悪い」が使われることがあると感じます。
「うっかりコピーとファックスのボタンを押し間違えただけなのに、複合機の使いかたを一から説明してくるんだよ。あの先輩、ほんとに気持ち悪いよ」
「あの客、私より商品知識があるのよ。こっちが知らないことを客が説明してくるんだもの。かなり気持ち悪いんだけど」
それを本人に向けると、合理的、論理的に批判できないものの、好意的な感情をもてないとき、相手を攻撃する端的な言葉になると思います。
「便座のことで、いちいち文句いうなんて、お前マジで気持ち悪い」
「気持ち悪い」という言葉は、あらゆるよくない事物や感情に対して、便利でお手軽に使われていると感じることがあります。
そう考えていると、「気持ち悪い」とはそういう言葉なのかもしれないという気がしてきます。
ここでは「感情」や「気持ち」という言葉を使うことがあります。
どちらも人間の心の動きを表す言葉として用いています。
人間はなにかと心の動きに支配されるものだと思います。
そしてそれは、自分が思っているよりも強い支配である場合もあると思います。
何度か書いていますが、自分では、冷静に客観的に、一切の感情を排除して思考し、判断しているつもりでも、実は“つもり”になっているだけだと感じることがあります。
しかしそれを自覚していない人が多いような気がします。
「気持ち悪い」という言葉が、便利でお手軽に使われるのは、人々が語彙を蓄えなくなってきた表れかもしれません。
また言語による表現力がおちているのかもしれません。
ただ人間の心は非常に複雑だと思います。そもそも心を言葉で言い表すことが難しいような気がします。
さらに、人間社会は複雑になる一方で、多様化し続けているように感じます。
複雑で多様なことを言葉で表現するのは難しいものだと思います。
そのため、詳細に言い表すのではなく、なんとなく感覚が伝わるような言い方が増えているのかもしれません。
その際に、「気持ち悪い」という言葉は便利なのかもしれません。