2014年3月9日日曜日

力を使うばかりが戦略ではない


“武力をもって領土を広げる”

 紀元前から行われていたことだと思います。今は西暦2014年です。長い時間が過ぎているのですから、人間社会は変わっていると思います。人間社会が変われば、やり方も変わると思います。

 その変化に乗れない人がいるように見られます。変化に気づいていないのかもしれません。

それは、リニアモーターカーが走っている時代に、馬に乗っているようなものかもしれません。

しかしそういう人は、自分が馬に乗っているのだと気付いていないかもしれません。

あるいは、馬に乗っていながら、自分の馬はリニアモーターカーよりも速いと信じて疑わないのかもしれません。

 

大国と連合の間に挟まれた国に政変があっても、経済面でも軍事面でも、それ以前と同じようにしていられれば、大国にも連合にもその間の国にも、マイナスはないと思います。

しかし、大国はマイナスになるという観念を強めすぎたようにみられます。

そのため時代おくれの手法を使ってしまい、それが政治的にみると大きな失点になったと感じられます。

やりようによっては、間に挟まれた国の政変に乗じて、その一部を味方に引き寄せることもあり得たと思います。

しかし、今の状況になってしまったからには、強引にそれをしようとすると、大国は損が大きくなるばかりだと思います。

 

大国はこの状況を立て直す必要があると思います。そのためには、マイナスのない状態にもっていくにはどうすればいいか考えるべきだと思います。

そのためには、間に挟まれた国はあくまで一つの国のままにしておくべきだと思います。

そのためには、間に挟まれた国の新体制を受け入れる必要があると思います。その代わりといってはなんですが、大国寄りの地域に、ある程度強い自治制を認めるように働きかけるべきだと思います。大国寄りの地域は、これからも大国寄りにしておくということです。

 

軍隊を動かすには、政治的戦略性が必要だと思います。政治的に有効なのか、よく考えなければならないと思います。

今、大国が軍を動かしたのは、あまりにも“まずい手”だったように感じます。紀元前から続いているような考え方を、現代社会に持ち込んだような気がします。

それでは“うまい手”であるはずがないと思います。しかしそれをわかっていない人がいるように見られます。

 

軍隊を動かすことは、政治的な戦略性に基づくべきだと思います。

ただ、どこの国でも武力を使いたがる政治家がいるものだと思います。徹底的に叩き潰すと脅せば大人しくなるなどという観念をもっている政治家もいるようです。そのような考え方を持っている人物は、武力を手段として使いたがる傾向があるのではないだろうかという印象があります。

 何回か書いていますが、思考は人間性が先に立つものだと思います。

 本人は、冷静に客観的に考えているつもりでも、そう思っている人ほど、性格など人間性が思考を左右していると感じることがあります。

強い自分が好きな人は、まず“この状況では武力行使が有効な手段である”という考えを立て、それからもっともらしい理由を探すことに思考が向かうものだと感じることがあります。

 

しかし紀元前ならいざしらず、現在では武力行使が政治的戦略性に照らすと有効ではない場合が多いと思います。現代の世界は複雑な繋がりがあると思います。

対立していながらも、利害が一致する事柄がある、そんな関係はよく見られると思います。また繋がり方が多方面に広がっていて、あらゆる関係性は一対一では語れないようになっていると思います。

なにより近年の戦争や武力衝突を顧みると、結局みんなが損をしただけだと感じます。結局みんな損するだけなのに、多くの人命が奪われたのですから、これほど愚かなことはないと思います。

 

力を使うには、政治的戦略性が必要だと思います。また、力を使えるように解釈をかえることもまた政治的戦略性が必要だと思います。それがこの国にとってマイナスにならないように手を尽くさなければならないと思います。解釈を変えたことが争いの種になったのでは、戦時的戦略性がないといえると思います。また解釈を変えたことが、経済に対して悪影響を与えてしまったのでは、政治的戦略性の観点からすると、“非常にまずい時に、まずいことをした”といえると思います。また解釈を変えたことで、隣との関係がさらに険悪になると、それはこの国にとってマイナスが大きいと思います。そうならないように友好国が仲を取り持とうと手を尽くし、いい方に向かう兆しが見え始めていたときに、この国のリーダーの行動によって台無しになったとすれば、失望するのも当たり前だと思います。一歩前進しそうになったところで、大幅に後戻りしたのなら、それまでの努力が全部無駄になったと感じるかもしれません。それを顧みることなく参ったということは、解釈を変えることに対する政治的戦略性がないと感じられます。しかし、リーダーの近くにいる者や、近しい考えをもつ人たちのなかには、友好国が失望したといったことを非難したり、むしろこちらが失望したなどと言ったり、友好国とはあまり仲良くしないほうがいいなどと言ったりする人がいるようです。解釈を変えることに対する戦略性のなさが窺えます。考え方が浅はかというか、思慮が浅いというか、そもそも思考回路に戦略性がないように感じられます。また、国にとって重要なことを、政治家が信念だの悲願だのということがありますが、信念や悲願は個人的なものであり、それを国に政治に反映させようという観念をもっているとなると、それ自体、思考に戦略的がないことの表れに見えることもあるかもしれません。このタイミングで、与党が有利な状況だから今しかないなどという理由でことを進めて、もし経済によくない影響が現れると、国にとっての打撃は相当に大きいような気がします。一歩進んだところを台無しにしたためにタイミングが変わったかもしれません。