2014年3月13日木曜日

感情が国を動かすと


世界は感情で動くと感じることがあります。

 国として行うことは、冷静な判断に基づくべきだと思います。実際、多くの場合そうされている。そう思っている人は多いような気がします。

 しかし歴史を振り返ってみると、一人の人物が国を動かしたと語られることが多いような気がします。そうなるとその人物の感情が少なからず関わっていると思います。

 

現代は一人の人物の感情ではなく、色々視点から冷静に分析され、判断されているという印象があります。

しかしそうではないような気がしてきます。あくまで事象から推察するのですが、現代においても、国の政治の中心にいる少数の人物の感情が国を動かしていると感じることがあるのです。

 多くの人命が奪われるような事柄も、少数の人間の感情が起こしたと感じることがあります。

 

 少数の人物の感情ではなく、大勢の感情によって国が大きく変わることもあると思います。

 感情は発することで増幅し、集まることでも増幅すると思います。そうなると大衆の感情は高ぶりやすく、そのため抑えられなくなりやすいと思います。

 抑えらない大衆の感情は、どのような形であれ大きな変化を及ぼすことがあると思います。

 それは大衆の感情には、強い力があるといえるかもしれません。しかし制御が難しい強い力は、あらゆる危険性をはらんでいるような気がします。

 抑えることが難しい、そのこと自体も危険な要素の一つといえるかもしれません。

 

 そのような大衆の感情ではなく、国の政治の中心にいる少数の人物の感情が、国を動かすことがあるように思います。

現在の大国の動きはそのような印象があります。大国の政治の中心にいる人物の感情によるところが大きいと感じることがあります。

“感情による”ということは、“冷静な分析に基づくのではない”といえるかもしれません。

 

何度か書いていますが、人間の思考は、人格や利害や他者とつながりなどが先に立つものだと思います。

自分では、冷静に客観的で中立的に物事を考えているつもりでも、人間である限りそれは難しいことのように思います。自覚がないことが多いと思いますが、思考は人間性が主導しているような気がします。

 

それは、国の政治の中心にいる人物も例外ではないと思います。国として動きを起こす判断が、感情によって左右されているような気がします。

『半島を手放すわけにはいかない。できれば半島を手に入れたい。その機会があるならば、手にいるべきだ』

そう考えているかもしれません。しかし何ごとも、何かを手にいれると、何かを失うものだと思います。

 

もし半島が独立国家となり、その後で大国に加えられたら、大国にとっては何を得て、何を失うことになるのだろうか考えてみます。

大国は半島を得られると、軍事的に有効だと思います。ただここで重要なのは、軍事的拠点の確保であって、それが出来るならば、無理に編入しなくても大国にとって“損”はないと思います。

 

では半島を大国に加えると、大国にはどんな“損”があるだろうか考えてみます。

もし半島が独立国家となり、その後に大国に加わったら、隣国は大国に半島をとられたという意識が強まると思います。

隣国は大国に対する反感を強まると思います。そうなると、隣国は連合に近づき、大国には敵愾心を強めると思います。

隣国は、連合と大国の間に挟まれています。連合と大国を繋ぐ位置にあるといえると思います。その隣国が連合に近づき、大国を敵視するようになると、それは経済面での影響が大きいと思います。

大国にしてみれば、隣国との経済ばかりではなく、連合との経済面での繋がりが細くなると思います。

 

それに半島が分離する前に、そのことに対して、あらゆる対立意識が強まると思います。隣国国内での対立、連合と大国との対立、大国と大国の対立、それらが強まると思います。血が流れる事態になるかもしれません。そうならなくても事態の混乱は深まり、長引くばかりだと思います。

近年の世界に目を向けると、混乱が深まり長引くことは、誰の利益にもなっていないように見られます。

大国は半島を味方にすればいいのですから、ことを荒立てまで編入することはないと思います。むしろ半島を説得して、隣国の分裂をふせいだほうが得だと思います。

そうしても半島は大国の味方に出来ると思います。説得して分裂を防いだのですから、隣国や連合との経済的なつながりを続けていけると思います。

そのほうが大国にとって得るものが大きいと思います。

すぐに軍隊を動かしたがるのは、冷静な判断に基づくのではなく、政治の中心にいる少数の人物の感情によるところが大きいと感じられます。