2014年3月2日日曜日

間に挟まれている


高校の運動部で、顧問のやり方に部員から批判が高まっているときの部長や、企業や団体の内部で勢力を争っている上役の間に挟まれている中間職や、政策で住民の賛否が分かれる地域で、どちら側とも商売上の付き合いがある商店など、“間に挟まれている”という状況は、社会にいくらでもあるような気がします。

 

“間に挟まれている”人は、『難しい立場におかれている』といわれることがあると思います。

実際“間に挟まれている”人は、気を使い、頭を使い、ときに時間やお金を使わなければならないこともあると思います。

ただ難しいだけに、上手く捌くことが出来る者は、周囲から高く評価されることがあるように見られます。

単に双方にいい顔をするのではなく、反目する者同士を結び付けるため骨を折り、工夫し、説得し、手を組ませることが出来たなら、それを成した人物は当事者だけでなく多くの人たちから認められると思います。

反目する者が協調することで、色々な方面で利することがあるものだと思います。

周囲にも小さからぬ益をもたらすこともあると思います。

 

ただ“間に挟まれている”のが個人ではなく国だと、状況はさらに難しくなるような気がします。国民の間でも対立が起こるのは必至といえるかもしれません。

 現在、大国と連合の間に挟まれている国が、難しい状況になっているように見られます。

 

 間にあるのですから、大国と連合の橋渡しになれる位置にある国だと思います。

 大国と連合を繋ぐため、様々な役割を果たせる位置にあると思います。

 役割を上手く果たし、大国と連合を繋ぐことが出来れば、その国は多くのものを得ることが出来ると思います。

 しかし実際に橋渡しをすることは、とても難しいことだと思います。

 まして以前は大国に加わっており、その後も関係が深いとなると、出発点が中間点ではないようにも見られます。

 

つまりはじめから大国に寄っているというか、そこから始まっているといえるような気がします。政治や経済では、大国とのつながりが深く、またそれだけに諍いもあるように見られます。

 そんななか、連合に寄りたいという声が強まるのは、実利面もあるでしょうが、心理的な面も小さくないような気がします。

 

 しかし現実的な面をみると、少し前、連合は加盟国の信用不安があり、大国との間に挟まれている国を支援する余裕はなかったように見られます。その時に、大国側に寄ったのは財政や経済を考えればもっともだったような気がします。

 そして連合の信用不安が収まったように見られると、また連合に近寄りたくなるのは心理的な動きのような気がします。

しかしそうなると大国は、色々と手を尽くして、引き寄せようとしたように見られます。

間に挟まれた国には、それに応じた人物がいたように見られます。

 それが大きな反発を招いた感があります。

 

 それにしても、今のこの国の状況で、経済にしろ、軍事を含めた政治にしろ、連合か大国かのどちらかを選ぶことは出来ないような気がします。

 実際“どちらを選ぶか”というより、“どちらに重きを置くか”という方向性の争いだったと思います。

 しかし世にあるあらゆる対立は、激しくなることで、その理由が先鋭化することがあると思います。

 国民のなかに“大国か連合か、どちらを選ぶか”という意識が強まっている印象を受けます。

“どちらか”という二極的対立意識は、強まりだすとなかなか収まらないものだと思います。そうなると、国民間での対立も強まるばかりになることがあると思います。

 

人間は、仲が悪い者同士が無理やり組むよりは、別々になったほうが上手くいくこともあるような気がします。

 今の国民の意識では、なんとしても一つの国にしておくよりも、平和的に分かれたほうが上手くいくかもしれません。

『喧嘩して傷だらけになるくらいなら、多数決で決めよう。それで袂を分かつことになるかもしれない。だがもし別々になっても、隣同士になるのだし、平和的に分かれたのだから、いがみ合うことなく、事柄によっては協力していこうじゃないか』

 

 砕かれてしまう前に、きれいに切り分けることも一つの“手”だと思います。対立感情が高ぶっているときは、無理にまとめようとすると、強い反発があり、ときに火花が発し、それが爆発を誘うこともあると思います。

 

 このように考えると、現時点で大国が軍事力を公然と行使することは、最悪の手段を講じているように見えます。ちょっとした摩擦で火花が発するかもしれません。多くの血が流れることになるかもしれません。それは大国にとっても得にならないと思います。