2014年6月15日日曜日

できる人

仕事は“できる人”に集まるといいます。
 それは、業界全体を見ても、ひとつの事業所だけを見ても、いえることだと感じます。
 一つの事業所の場合、“できる人”ばかりに仕事が増えることで、社員の業務量に差が出ることがあると思います。
“できる人”は多くの仕事を抱え、他の人は仕事が少ない場合があると思います。

“できる人”は仕事があるのですから、勤務時間が長くならざるを得ない場合があると思います。
他の人は残業する必要のないこともあると思います。しかし“できる人”が就業時間を過ぎても働いているのに、先に帰るのは気が引けることがあると思います。
 職場全体にそんな雰囲気がある事業所もあると思います。
 また職場には様々な人がいるものだと思います。仕事を抱え終業時間を過ぎてもそれをこなしている人もいれば、特に仕事はないものの“できる人”が仕事をしているから帰りづらいために会社に残っている人もいれば、仕事の進め方を意図的に遅くして“ひまそう”に見えないようにして残業する人もいるのではないかと思います。

“できる人”のなかには、自分の裁量で、他の人に仕事を振り分けられる人もいると思います。しかし“いい仕事”にするためには、一部を他人にまかせるより、すべてを“できる人”が自分でやったほうがいい場合があると思います。
 また“できる人”の上司が、他の人に仕事を振り分けられることもあると思います。しかし“いい仕事”するためには、一部を他人に任せるより、すべてを“できる人”にやらせたほうがいい場合もあると思います。

 どんな仕事でも、給料は“できる人”が多くもらうべきだろうと思います。しかし仕事は多種多様なものだと思います。
数字や形にならない仕事もあると思います。“できる人”が能力を存分に生かし、毎日残業し、苦労して成し遂げた“いい仕事”も、目にみえる形にならないことがあると思います。
また人間による評価や査定は、すべて主観にならざるを得ないと思います。どんなに苦労して“いい仕事”をしたとしても、上司が見ていなければ評価がよくならないこともあると思います。

“できる人”も、仕事がないにも関わらず帰りづらいために終業時間を過ぎても職場に残っている人も、会社にいる時間を基準にした給料では同じになる場合があると思います。
“できる人”は間尺に合わないと感じることもあると思います。
 会社は不適切に費用を使っていると考えることもあると思います。

そこで給料を成果主義にする事業所があると思います。しかし数字だけで、社員の仕事ぶりを判断できないこともあると思います。
目に見える数字が評価のすべてであり、それを基準にして給料を決めることが、本当に“成果主義”といえるかというと、必ずしもそうではないと思います。
数字には、いろいろな業務の上に表れている場合もあると思います。
数字の奥には、形にならない仕事をやっている人がいて、その中に“できる人”がいる場合もあると思います。数字としては見えないものの、会社にとって有為な人材はいると思います。

また、数字だけを評価基準にすると、なりふり構わないやり方をする人もいるような気がします。それが事業所にとってマイナスに作用することもあると思います。
一時はプラスに見えていても、のちに多大なマイナスになることもあると思います。
マイナスが、一つの事業所だけでは済まなくなる場合もあるかもしれません。
何が何でも数字を追いかけることで、業界全体が大きなマイナスになるような状況もあると思います。

それにしても、それらは事業所によって様々だと思います。
また一つ会社でも部署によって様々だと思います。同じ会社でも業務によって給料体系が違っていることもあると思います。
また同じ会社でも役員や経営者によって、給料に関することが変わることがあると思います。
また同じ会社で、同じ経営陣でも業績よって、給料に関することが変わることがあると思います。
また同じ会社で、同じ経営陣でも時代によって、給料に関することが変わることがあると思います。

そう考えると、給料に関することを法律や制度で決めるのは難しいものなのかもしれません。
仕事とは多様なもので、しかも常に変化している場合があるような気がします。そんな仕事に関する事柄のなかで、給料に関することはとても重要だと思います。
そう考えると、給料に関する法や制度には、柔軟性や多様性が必要だと思います。
しかしそうすると、不正や不適切に制度が使われることが多くなりやすいと思います。
 

 ただバブル崩壊後の日本企業は、“人・カネ・モノ”を数字でしか考えられなくなったため、地力を弱めたと見えることがあります。