2014年6月24日火曜日

民衆の時代に


 民衆の動きによって、事態が大きく変わることあると感じます。

 中東では民衆が動くことで、国の政治が大きく変わったように見えます。

 大国と連合の間にある国も、民衆による動きが政治を変えたと感じます。

 それに対する評価や考え方は色々あると思います。

 そして評価は、その時々によって変わるものだと思います。

 政変が起きたときの評価と、今の評価と、のちに歴史になったときの評価は、必ずしも同じではないと思います。

 

 中東で起きた民衆による民主化運動は、チュニジアから始まった感があります。あの時、インターネットが使われたことも、大きな話題になった覚えがあります。

 インターネットでデモを呼びかけたり、多くの動画が投稿したりしていたと思います。

 それが民衆の動きを大きくしたと感じます。その広がり方は、非常に急速だった気がします。

 

“インターネットを活用した民衆によって、腐敗した権力者が倒された”

 当時、世界中のメディアがそのような取り上げ方をしていたような気がします。

 実際その通りだったと思います。しかしそれはほんの一面にすぎないと思います。

 メディアにはその認識はなかったような気がします。

もしかしたら報じ手のなかには、広い視野をもっていた人もいたかもしれません。しかし個人的な印象でいうと、民衆によって腐敗した権力者を倒したことを強調し、美談のような伝え方をしたほうが、人々の“うけがいい”ため、殊更そのように報じていたような感じがします。

 

 そしてそれが、他の国の民衆を駆り立てることになったと感じることがあります。

 いつくかの国で、多くの民衆が動いて、権力者が倒されることが起きたと思います。

 メディアは、その多くを好意的に評価していたような気がします。

 しかしそれらが歴史になったとき、評価は違っているような気がします。

 

 今の時点の評価も、政変が起きた当初とは違っていると感じます。

政変が起きた後、政治が安定したとはいえず、混乱が続いたり、逆戻りしたと見えたりしているからかもしれません。

 また深刻な内戦が続いている国があるように見られます。

他の国の政変が好意的に報じられて、若者たちが性急な行動に駆り立てられたという一面があったのかもしれません。

 

 ところで、政治に対する支持率も民衆によるものだといえるかもしれません。

 支持率は、単なるアンケート調査の結果に過ぎないかもしれません。しかし数字には説得力があると思います。

数字は、複雑な実態を単純に表現することがあると思います。それはわかりやすく、イメージしやすいと思います。

そのため国民も政治家も、支持率を強く意識しているような気がします。

 

支持率が高い方が政治家は、権力を手にしやすいと思います。政治をやりやすいと思います。そうなると、支持率に媚びることは政治家として仕方ないのかもしれません。

ただその国の支持率は、他の国からみた評価とは違うものだと思います。

大国のリーダーが国内の支持率を上げているとき、他の国でそのリーダーの評価が大きく下がることがあると思います。

国内の支持率が高くても、他の国から批判的にみられる政治家がいると思います。

 

また、現在高い支持率を得ている政治家が、後年に高く評価されるとは限らないと思います。

たとえ今の支持率が高くても、“今”が“歴史”になったとき、かなり低く評価されるかもしれません。

 

それにしても、現代は民衆の動きが速いと思います。中東の政変を振り返ってみると、民衆の動きが大きくなる速さや、その影響が広がる速さが、強く印象に残っています。

支持率も民衆によるものだと考えれば、その動きも速くなることはあり得ると思います。数字は一瞬で大きく変わるかもしれないということです。

 

ただ、中東の急な動きを見ていると、民衆の動きが速くなることは、“いいこと”とばかりはいえないような気がします。

勢いづいた民衆が、社会をいい方向に持っていくことはあると思います。

しかし現在の社会を見ていると、よくない方向に行ってしまうことが多いような感じがします。

民衆は深く考えたり、先々のことを見据えたりして動くことは少ないものだと思います。

しかし漠然と一つの方向に民衆が向かってしまうことは、その国や社会全体にとって、“よくない”ことになることもあるような気がします。

でも、昔から動きだした民衆を抑えることは、非常に難しいと思います。

 

情報技術の発展が民衆の動きを速くしたのなら、それを抑えるのも情報技術によるべきなのかもしれません。

インターネットで、冷静さを保つことや、先を見据えたことの大切さを、大勢の人が発信することで、民衆の動きを抑えられるかもしれません。それがその国や、社会全体のためになるかもしれません。