2014年6月17日火曜日

ナショナリズム

「ナショナリズム」には明確な定義がつけられないのかもしれません。
「ナショナリズム」は曖昧な言葉ということです。
 ただこの世界には、言葉で明確に説明することできない事象や事柄があると思います。

 少し前、僕が使っている国語辞典で「ナショナリズム」という言葉の意味を調べて、ここに書いたことがあります。
「ナショナリズム」は「国家主義。国粋主義」とあります。
「国家主義」の意味は「国家の存在を至上と考え、国家を個人に優先させようとする思想。個人の自由も利益も国家の隆盛発展によってのみ可能であるとする」と出ています。
「国粋主義」は「自国の良いところを認め、外来の思想や文化に影響されまいとする考え方。(多くは自国が他国より優れていると考え、他を排斥しようとする保守的な態度)」とあります。
 こうしても見ると「国家主義」と「国粋主義」の意味を合わせると、「ナショナリズム」という概念を端的に言葉で表しているように感じます。

ただ個人的に、近年世界で強まっていると感じるナショナリズムは、上に書いた「国家主義」の意味合いが薄らいでいるような印象があります。
今、世界中で強まっている傾向があるナショナリズムは、“自己”を“国”まで拡大して認識しているという気がするのです。
 
人間は自分が属する集団に、“自己”を反映する心理があると思います。
自分の国に対して、“自分自身”に近い感覚をもっていることがあると思うのです。
そして、今は世界中でその傾向が強まっていると感じます。

もちろん思想ですので、人によって違いがあると思います。
国家があってこその個人であり、国家がなければ個人の存在が危ぶまれることもあるのだから、国家を個人より優先するべきであると考える人がいると思います。
国家はそうあるべきだという思想を持ち、自分の国をそのようにしよう考えている人もいると思います。

それにしても個人的に世界的な傾向だと感じるのは、自国の正当性や自国の利益を強く主張する風潮です。
またそれに伴って、他国の非正当性を強く訴え、他国に対する批判や非難を強める傾向があると感じます。
誰もが、自分の国は正しく、自分の国は被害者であり、他の国が悪者だという観念を強くもっていると感じるのです。
そのため、それを主張する声も強くなっていると感じます。
強い主張は、声を大きくして、荒い言葉使いをするだけでなく、内容が強硬的になるものだと思います。

近年、世界で広がっているナショナリズムは、利己主義の“自己”を“国”に広げた印象を受けます。
自分に関する主張は、本人が思っているより主観によることが大きいと思います。
あくまでも客観的な視点に基づいて、自己や自国も正当性があると考えている人がいるように見られますが、その考えは“自分”が起点になっていることを全く認識していないと感じることがあります。

“自己”を“国”に拡大したり投影したりしているのなら、個人の権利意識の強まりが、ナショナリズムの高まりに関わっているような気がします。
そして、“自分は不当な扱いを受けている”とか“自分は不条理な理由で損をしている”という考えは、“他者のせいだ”という意識を呼び起こすものだと思います。

“自分の国は正しい。他の国は間違っている。だからそれを強く訴えるべきだ。強い行動に出るべきだ。妥協なんてするべきではない。自国が正しいのだから当然だ。一歩も引くな。強く出ろ。悪者の他国のせいで、自国が損するなんて断じて許すべきはない”
 
現代の世界は、そんなナショナリズムを受け入れない構造になっていると感じます。
今の世界は、利害を含めてあらゆる事物が、広く複雑に関係しあっていると思うのです。
 ナショナリズムは、“自国”つまり“一つの国”の訴えといえるかもしれません。
多くの国が複雑に関係しあっているこの世界に、一つの国のナショナリズムを押し込むと、ぶつかり合い、争いにしかならないような気がします。
世界が繋がりあっているのならば、ぶつかり合い、争うことはどの国のためにもならないと思います。
どの国にとっても“悪いこと”にしかならないと思います。

近年のナショナリズムは民衆の間で高まり、政治家がそれに抗えない構造が見られます。それは多くの国でみられる風潮だと思います。
それが国益を損なっていると見えることがあります。
しかしナショナリズムが高まっている国の民衆は、それが国益を損なっていることが見えないものだと感じます。
その国のナショナリズムと関係が薄い他国からみると、ナショナリズムの強まりが国のためになっていないことがよく見みえるもの、当の国の国民はそれにまったく気づくことが出来ていないということです。

そう考えると、今の世界において政治家や論じ手や報じ手は、民衆のナショナリズムを抑えるべきかもしれません。

複雑に色々な国が繋がっている今の世界では、自国とって“いいこと”を得るには戦略性が必要だと思います。ナショナリズムを抑えることはその一つだと思います。