2014年6月5日木曜日

インターネット妄信社会

世の中には不確かなことがたくさんあると思います。
 解明されていないことなども無数にあると思います。
 解明がされていなくても、人は信じることがあると思います。
 人間は自分の主観や感覚を基に信じることがあると思います。
 また自分自身の主観ではなく、他者の主観による主張を信じることもあると思います。
自分は経験していなくても、他者の経験の伝聞を信じることがあると思います。

世の中には多くの情報があふれていると思います。
不確かな情報も無数にあると思います。
不確かであっても、人はその情報を信じることがあると思います。
そうはいうもの、その情報が事実であるとする理由が示されているほうが、人は信じやすいものだと思います。
ただ、その情報が事実であるとする理由の真偽を疑うことは少ないような印象あります。

あまり関心のない事柄の場合、情報の真偽や、情報源など気にすることもなく、信じていることもあると思います。
テレビや雑誌やインターネットなどで、何気なく見聞きしたことを事実であると信じていることがあると思います。
あまり関心のない情報は、興味ないがゆえに、ただそのまま受け入れてしまうのかもしれません。
情報を疑うことなくそのまま受け入れ、事実だと信じていると感じることがあると思います。

深く関心がある事柄の場合、情報の真偽や、情報権などを気にすることもあると思います。しかし気にしながらも、自分が信じたいことを信じていることがあると思います。
持論に沿った情報を信じるということです。
また持論に反する情報は信じないこともあると思います。
自分にとって好ましい情報は、端から信じようという意識があるような気がします。
自分にとって好ましくない情報は、端から疑った意識をもっているような気がします。
あまり関心のない情報の場合、無意識に自分にとって好ましいのか、好ましくないかを選り分けているような気がします。
それは“信じる情報”か“疑う情報”か、意識しないで決めているのかもしれません。

そして人は一度信じると、それをなかなか覆さないと感じることがあります。
特に他者が間違いを正そうとすると、大変な時があるような気がします。
本人は関心のない事柄でも、人間は一度信じると、それを否定する気持ちになりにくいような気がします。
その事柄について強い思い入れがあるわけではないのに、他者から間違いを正そうとされると、嘘だと受け取る傾向があると感じるのです。
まずは信じていたことを優先するというか、先に否定論を疑うものだと感じます。
それだけに、間違った情報を他者が正そうとすることは難しいと感じます。
 もちろん人それぞれですし、その時々だと思います。自分で間違った情報だと気づくこともあると思います。

ここでは、インターネットで検索して、検索結果上位に表示されたその百科事典を見て、そこに書かれていたことを取り上げることがあります。
 ただその際に、それが事実だという扱いはしないように心がけて書いています。
以前、この百科事典は自由に書き込みができるもので、それゆえに間違っていることもあると聞いたことがあるのです。
 実際に、明らかに事実ではないことが書かれているのを見たことがあります。

個人的にインターネットには“事実だとは限らない”という意識をもつようにしています。
意識しておかないと、自分でも気づかないうちに、無条件に信じてしまいそうになるのです。
 インターネットで検索するとこの自由書き込み式百科事典が検索結果の上位に表示されることが多いと感じます。多くの人が利用しているのだと思います。
 それだけに『嘘や間違いが書かれていることは滅多にないだろう』いう観念を抱きやすいような気がします。
 それがいつの間にか『ここに書かれていることに間違はいない』という意識に変わっている人もいるような気がします。

そうなると、もし間違ったこと書かれていても強く信じてしまうこともあると思います。
他者が間違いを正そうと本当のことを話しても、むしろ疑われることがあるかもしれません。
間違いを正すには、丁寧に説明するなり確かな証拠を見せるなりしなければならないこともあると思います。
そうして間違いだと納得されることもあると思います。

しかし丁寧に説明するにしても、証拠を見せるにしても時間も手間もかかります。
証拠などは手元になく、示すことが出来ない場合もあると思います。
説明するということにも得手不得手があると思いますので、どれだけ話しても理解されないこともあると思います。

そのようなことはインターネットがない時代からあったと思います。
しかしインターネットによって情報が多くなったのですから、間違った情報や偽りの情報に接することも、以前とはくらべものにならないほど増えたと感じます。

思い込みや思い違いも増えているような気がします。