2014年6月16日月曜日

骨太ねえ

 少し前から、日本の企業や経済に関して自負心を掻き立てようという意図を感じる発信物を見聞きすることが多くなった感があります。
 
リーマンショックによる日本経済の落ち込みは、非常に大きかったと思います。
 何度か書いていますが、リーマンショック前の経済状況を見れば、あんなに落ち込むことはなかったと思います。
 企業の業績が良く、税収も増え、経済成長していたからです。
 それなのに、リーマンショックによって日本経済が大きく沈み込み、簡単には浮上できなくなったように見られます。
それは経済成長の反動があったと思います。
 ただそれよりも雰囲気によるところが大きかったと思います。

 そこでなんとか雰囲気を良くしよう、自信を取り戻そうという意識から、冒頭で書いたようなものを発信されることが増えたような気がします。
 しかしリーマンショックからしばらくの間、発信されても雰囲気はよくならなかったと感じます。
雰囲気が落ち込んだままでは、景気は良くならないとわかっていながらも、能天気になるわけにはいかないという心理が強く働いていたと感じます。
 
 それが『経済政策をきっかけにして雰囲気を良くしよう。再び空気が悪くならないようにしよう』という心理が高まったと感じます。
“落ち込み疲れ”というか、“沈みこむことにあきた”というか、『底に着くまで沈んだから、そろそろ浮上するしかないだろう』とか『もうそろそろ少しは能天気になってもいいかな』といった感が出てきたころに、イメージに訴える経済政策が打ち出されたことで、タイミングよく心理を引き上げられたような印象があります。

 ただ振り返ってみると、リーマンショック前の経済政策が、リーマンショック後の雰囲気を大きく長く落ち込ませる大きな要因の一つだったと感じます。
 リーマンショック前は経済が長期間成長していたにも関わらず、多くの人は不景気の真っ只中にあると感じていたような気がします。そんな時にリーマンショックが起きたため、雰囲気は底に着くまで沈み続けたような印象があります。

 ではなぜ多くの人が経済成長を感じられなかったのか考えると、働く人を踏み台にして企業を喜ばせる政策によってもたらされた経済成長だったからだという気がします。
 そのやり方は、企業の業績をよくしたものの、企業の地力を弱めたような印象があります。
 それがリーマンショックによる落ち込みを必要以上に大きくさせ、そこからなかなか這い上がれなくさせた感があります。
「日本の底力」や「ものづくり日本」という言葉で、自負心と自信を掻き立てようという意識が強まったのは、企業が地力を落としたことの表れかもしれません。

“日本人が欲しがるものを、日本で作って、日本で売る”
 それは日本経済にいい影響を及ぼすと思います。
かつて日本の製品が世界を席巻したことがあります。その製品のなかには、はじめから外国に売ることを目指して作られたものがあると思います。
しかし日本人が欲しがるものを作ったら、それが世界中で売れたこともあると思います。

また日本は、二番煎じでありながら、本家を凌駕するものを作り出すことが得意だったような気がします。
後発で発売した製品が、先発を抜き去り世界の市場を席巻していた時代があったような気がします。

 今の日本では、外国の企業が生み出した製品ばかりが目立っている感があります。
 また、二番煎じはあくまでも二番煎じであり、それ以上のものを作れなくなっている感があります。
 日本人が欲しがる携帯電話を、日本で作って、日本で売っていたつもりになっていたのに、いざ外国の企業がスマートフォンを作ると、多くの日本人はそれを買ったように見られます。
多くの日本人が携帯電話よりもスマートフォンを欲しがったからだと思います。

日本の企業は日本人が欲しがっているのは携帯電話だと決めつけていたのかもしれません。そのため日本人が欲しがる新しいものを生み出せなくなっているのかもしれません。
「いまでもガラケーを使っています」という言葉を耳にすることがありますが、この言い方自体も「ガラケー」という言葉も、日本企業が地力を弱めていることを表しているような気がします。

 企業の地力とは、人材かもしれません。
 人を使うこと、人を育てること、人を生かすこと、それによって生み出される力があるような気がします。それが企業を支える底力であり、地力であるといえるかもしれません。
“人・カネ・モノ”を数字でしか見ていないと、地力を失っていることに気づけないような気がします。


 働くものを踏み台にして企業を喜ばせる政策や、新しい事業を起こそうとする小規模企業や、中小企業を踏み台にして大企業に美味しい思いをさせる政策は、日本経済の根源的な強さをそぐことになるかもしれません。