2014年7月11日金曜日

頭を冷やす間もなく


 これはブログです。僕はパソコン全般にあまり詳しくないのですが、インターネット関連企業が提供しているサービスを利用して、この散文を書いて、公開しています。

 原則的に水曜日以外は毎日書いています。自分がそのように利用していながらいうのもなんですが、僕はあまりブログを読んでいません。

 

自分から積極的にブログを見ることはないのです。僕がブログを見るのは、たまたま目にする時がほとんどです。

興味がある事柄をインターネットで検索し、検索結果に表示されたサイトを開いてみると、ブログだったという時などです。

 

以前、スイーツについて検索したとき、検索結果に表示されたサイトを開いてみると、個人が書いているブログが多かった覚えがあります。

インターネットで検索する事柄によって、検索結果にブログは多くなることがあるような気がします。

あのころは、スイーツに関するブログが多かった気がします。

 

最近は、インターネットで検索しても、あまりブログが検索結果に表示されない感があります。

検索している事柄によるのかもしれませんが、思い起こしてみると、最近はインターネットで検索してブログを目にすることが少なくなったと感じるのです。

 短文投稿サイトなどを利用する人が増え、ブログを書いている人が少なくなったため、検索結果にブログが表示されなくなったのかもしれません。

 

 僕は短文投稿サイトも利用したことがありません。そのため目にすることはないのですが、有名人のブログや短文投稿サイトに書かれていた話題を見聞きすることがあります。

 動画投稿サイトやインターネットのスタートページに、ニュースや話題の見出しが表示されています。それを開いてみると、ブログや短文投稿サイトに投稿された内容が取り上げられていることがあります。

 それを読むことがあります。

 

 こうして書きながら思い起こしてみると、そのようにして読んでいることが意外なほど多いことに気づきます。

 今まで、僕はブログも短文投稿サイトも見ないため、インターネットで発信している個人の意見などを目にすることは少ないと感じていました。

しかし振り返ってみると、自分が思っている以上に、そのような意見を目にしているような気がします。

 そしてインターネットで発信される言葉の使い方で、感じられることがあります。

言葉の使い方や文章の表現が、感情的になっているものが多いような気がします。

 

その感情は、怒りである場合が多いと思います。

人は、様々な感情を、様々な形で表に出すものだと思います。

そのなかでも怒りの感情は、強く表に出やすいものだと思います。

怒りの感情は、声の大きさや口調や言葉使いから、態度、表情、顔色、などに表れるものだと思います。

そして文章や言葉の使い方にも表れるものだと思います。

 

インターネットで意見を発する場合、感情を発散することが目的になっていることがあるかもしれません。

ただその場合、自覚していない人が多いような気がします。

理屈ではなく、とにかく怒りの感情を発散させている書き込みや投稿があるように感じられます。

ただそうでありながら、『そりゃ怒るのも、もっともだ』とか『わかるよ。そのことは俺も怒っているんだ』などと、インターネット上で賛同されたい気持ちが含まれていると感じるときもあります。

 

 インターネットで発信される意見のなかには、親しみやすく読みやすい文章で書かれたものもあります。

砕けた表現を多用していると感じる文章や、“今風”と感じられる言葉使いをしていると感じる文章を見るときがあります。

そのように、親しみやすく読みやすい文章は伝わりやすいと思います。

自分の意見に賛同を得るには、伝わりやすく表現することは有効だと思います。

ただそのように書かれた文章の中にも、言葉使いや表現法ではなく、内容から感情が発散していると感じられることがあります。

暴力的な言葉使いや、汚い言葉を使っていなくても、書いている内容から怒りが噴き出している文章はあると思います。

 

僕はインターネットを積極的に使って、他者の意見を読むことは少ないと思っています。

それでも目に入ってくるものだと思います。

そして目に入ってきたものから受ける印象は、感情に任せて書かれた文章は、読む者にいい印象を与えることは少ないというものです。読んだときの第一印象がよくなりにくいものだと思います。

 それは、自分の意見に賛同を得るためには、効果的ではない場合が多いと思います。

 

しかし、多かれ少なかれ怒りに任せた文章や、腹立たしさにとらわれた言葉が、インターネットでは膨大に飛び交っている感があります。

手軽に発信できることが理由の一つかもしれません。

感情が高ぶっているとき、その感情の赴くままに言葉をつらね、それをすぐに投稿したと感じる文章を目にすることもあります。