2014年7月4日金曜日

入り込み損ねた映画

もう随分前のことですが、「ダイ・ハード」を劇場で観ました。
この作品は、公開前から評判が耳に入ってきていました。公開されると、映画館には大勢の人が入っていたのだったと思います。
評判になっていた映画ですので、上映期間も長かったと思います。僕は公開してから数週間後に観に行ったと記憶しています。

何度か書いていますが、僕は娯楽性が高い活劇的な内容の映画が好きです。特に刑事やそれに類する主人公が活躍するポリスアクションが好きです。
前評判が高く、先に観た友人が絶賛していたこともあって、「ダイ・ハード」には期待していました。
しかし実際に観たときの僕の感想は、それほどいいものではありませんでした。とても面白い活劇的映画だと思ったのですが、いろいろと細かい粗が気になったのです。

ここでは「ダーティーハリー」や「フレンチコネクション」「ブリット」などについて書いたことがあると思いますが、どれもとても気に入っているポリスアクション映画です。これらの作品に比べて「ダイ・ハード」は“少し派手すぎるかな”という印象を受けました。
ただ「ダイ・ハード」の感想があまり良くなかったのは、映画に集中できなかったためだと思います。

公開から数週間後に観に行ったので、映画館は満席ではありませんでした。それにしても人気を博した作品ですので“がらがら”だったわけでもなく、ある程度の人が入っていました。
僕のななめ後ろに、中年と思しき年代の女性が二人いたのですが、映画が始まってからも、ずっと話をしていました。
それが気になって、映画の導入部で入り込むことが出来なかったのです。
このことは以前書いたような気がしますが、あの頃そのようなことは時々ありました。映画上映中の話し声は、とても気になる時があるものです。

そして映画は、導入部で入り込むことが出来ないと、作品全体の評価が低くなってしまうことがあると思います。
映画は観るときの集中の度合いが、作品の印象に影響を及ぼすと思うのです。
上映中の話し声など、些細なことが気になりだすと、どんなに意識しないようにしようと思っても、スクリーンに集中できないときがあります。

ただ最近の映画館は音響機器やそれに関する設備がよくなっているようです。そのため非常に音が大きいものの、耳が痛くなるような響きではないと感じます。
そしてあの音の大きさでは、とても話など出来ないと感じます。

また最近の映画館は、上映時間のまえ、観客が席に着こうとしている時から、ずっと予告編が流れています。
本編上映前の予告編がはじまると、会場が暗くなり、音量が大きくなります。段階的に場内の証明が暗くなり、音量が大きくなることは、スクリーンに集中させる効果があると思います。
また“映画泥棒”を注意する映像も、『いよいよ本編がはじめる』という意識を喚起することにもなっているような気がします。

 そのようなことからか、最近は映画館で上映中に話し声を聞くことは少なくなったと感じます。
 ただそれでも、映画に入り込むことが出来ないこともあると思います。映画館の環境ではなく、作品自体というか、観るときの意識の流れなどによって、集中出来ない場合もあると思うのです。

 少し前に「第三の男」について書きました。この映画は導入部に戦後のウィーンについて説明する場面があります。その歴史的背景について、予備知識がないと映画に張り込めないこともあるかもしれません。
 思い出したのですが、はじめてこの「第三の男」を見たのはビデオだったような気がします。あの時は歴史的背景に対する知識がないことなど気にせずに、映画に入り込めたように思います。

 ただ「カサブランカ」を初めて見た時、時代背景が気になって、少し入り込めなかった覚えがあります。
 しかし二度目にみたときは、一度目にみたことが予備知識になっていますし、それほど気にしなくても映画を楽しめることがわかっているので、すぐに入り込むことができたと思います。

 また以前、「炎のランナー」についても書いたことがありますが、この作品も導入部で入り込み損ねたと感じます。
 僕は、この映画を初めて見たとき、登場人物を見分けられず、そこに意識がいってしまいました。
また、舞台となる英国の社会や、そこの学校の風習などに関する知識のなさも、映画に入り込み損ねた理由だったと思います。
 
それに「アラビアのロレンス」も、若い時にはじめて見たときは、全く入り込めませんでした。歴史や時代や、舞台となった地域に関する知識がなかったことは理由の一つだったと思います。
それが昨年、何十年ぶりに映画館で観たときは、作品に集中できました。やはり映画史にのこる名画だと思います。


前にも書きましがが、初めて見た時に入り込めなかった映画は、時間をおいてから見直すと堪能できることがあると思います。