2014年7月12日土曜日

説得力


 今のところはまだ、集団的自衛権を行使することは出来ないと思います。

 行使するには、いくつもの法律を変えたり、書き加えたりする必要あると聞きます。それにはある程度の時間を要すると見られています。

 閣議決定をした当初は、すぐにでも法整備に取りかかる意向だったようですが、来年に先送りすることにしたと聞きます。

 

 集団的自衛権を含めた安全保障に関する法律を一まとめにして国会審議をする方向で進めているようです。

 色々と理由があるでしょうが、地方の選挙への影響を避ける思惑があることは明らかだと感じられます。

 集団的自衛権について閣議決定する前は、多少支持率がさがるのも覚悟の上だという考え方があると耳にしていました。

 ただ実際に支持率が下がってみると、やはりそうは言っていられないという声が強まったのかもしれません。

 

何ごとも、数字が必ずしも実態を表しているわけでないと思います。

現実の世界は複雑なもので、数字で表すには無数の基準や方式があると思います。

しかし大抵の場合、示されるのはほんのわずかな数字だけだと思います。

それでも数字を示されると、人はそれが実態を正確に表しているという印象をもつものだと思います。

一つの数字が現実を表すことなど出来ないと思います。

しかし人には、数字は絶対的なものだという観念が強いと思います。

 

支持率は民間の機関が行ったアンケートの結果であり、絶対的評価とは言い切れないと思います。

しかし支持率の数字を見せられると、それを現実だと受け止めるものだと思います。

“多少支持率が下がっても構わない”

 それは支持率が高いときにいえることであって、実際に支持率が下がってみれば、不安な心理が大きくなるものだと思います。

 

 支持率が下がることが地方の選挙に影響を及ぼし、もし与党の議席数が下がったなら、それがさらに支持率が下がることも十分にありうることだと思います。

 それがその後の国政選挙に影響することもあり得ると思います。

 それを避けたかったということが、法案の国会審議を先送りした理由の一つだと思います。

 

 また先送りするだけでなく、法律が明確でなかったグレーゾーンや、国連平和維持活動における自衛隊の活動に関する法律や、集団的自衛権に関する法律などを一まとめにして国会審議をする意向のようです。

 そうなると、“一つの大きなこと”だと、受け止められると思います。

“一つの大きなこと”という印象が強まると、外国の反応が大きくなるような気がします。

国内でも国民の受け止め方が大きくなると思います。

 

 与党が過半数の議席を有しているのですから、どのような法案であれ通りやすいと思います。

しかし国民は、選挙で当選した者に、その任期の間は何をしてもいいという権限を与えたわけではないと思います。

 国民に反対意見が多い法案は、たとえ与党が過半数の議席を有していても、通りにくくなるものだと思います。

 国民の意見を政治家にしめすのは、支持率の数字で表すことが効果的だと思います。

 

 先送りしたことで、国民には考える時間が出来たといえるかもしれません。

 集団的自衛権の行使容認については、「わからない」とか「どちらともいえない」という声が多かったように思います。

 自分の意見を決めかねている人が多いといえるかもしれません。

 法整備を先送りしたことで、その多くの人達が考え方を決める時間が出来たといえるかもしれません。

 

 他者から賛同を得るには、説得力が必要だと思います。

 持論を押し付けようとする言葉には、説得力がない場合が多いと思います。

 また感情にまかせて書かれた文章にも、説得力がない場合が多いと思います。

 自分の意見が絶対に正しいという主張にも、説得力がない場合が多いと思います。

 他論が絶対に間違っているという主張にも、説得力がない場合が多いと思います。

 他論を支持する者を罵倒する言葉にも、説得力がない場合が多いと思います。

 

しかし今まで人は、そのような主張ばかりをしてきたような気がします。

相手の揚げ足を取って批判したり、情緒に訴えるばかりで論理的に感じられなかったりすることが多いと感じます。

主張をぶつけ合っている者が熱くなるばかりで、考え方を決めかねている人は冷めるばかりのことがあると思います。

しかし主張をぶつけ合っている人たちは、それに気づかないものだと思います。

 

人は、主張することで持論に固執するような気がします。

それに、反論されることで持論に固執するような気がします。

他論を批判することで、持論に固執するような気がします。

それらが怒りの感情を呼び起こし、怒りがさらに持論に固執させるような気がします。

意見を対立している双方が、そのように持論に固執していくような気がします。

しかし持論に固執したからといって、「わからない。どちらともいえない」という人を引き寄せられるわけではないと思います。

 

感情にまかせて喚き散らすことも、ぜったいにまったく効果がないとはいえないと思います。

また、あざとく感じられないなら情緒に訴えることも効果があると思います。

しかし、他者から賛同を得るには、説得力が不可欠だと思います。