2014年7月5日土曜日

ドーナツの穴

“ドーナツの定義とは?”
 何度も書いていますが、僕は甘い食べ物が全般的に好きです。
 ドーナツも僕の好きな食べ物のひとつですので、それに関することを何回も書いているような気がします。
 
 僕はドーナツを購入するとき、専門店を利用することもあれば、スーパーやコンビニで袋詰めのものを買うこともあります。
 専門店でも、スーパー、コンビニでも、最近は様々なドーナツを見かけます。
 ねじった形のドーナツや、穴がなくクリームが詰まったドーナツ、揚げていない焼きドーナツ、パイ生地で作ったクロワッサンドーナツなどです。

 個人的にどれも好きです。
また、このどれかに凝っている時期があります。
 僕はドーナツに限らずクリームが好きですので、それがたっぷり詰まったドーナツばかりを選んでいた時期があります。
 そういえば、全国チェーンのドーナツ店で新商品がでるたびに、食べてみないと気が済まなかった時があります。
 
それと、少し前にも書いたような気がしますが、ドーナツ店にクッキークルーラーという商品があったときは、よく食べていました。
袋詰めドーナツのローズネットクッキーもそうですが、さくさくした歯触りのドーナツは昔から好きです。
ただここしばらくは、ドーナツ店でもスーパーやコンビニの袋詰めドーナツでも、オールドファッションタイプを食べることが多くなっています。
クリームがたっぷり入ったものや、ふんわりした食感のものなどから、慣れ親しんだドーナツに、好みが回帰した感があります。

 そんなことを考えていると、ふと冒頭に書いた疑問が湧いてきました。
“ドーナツとはどういうものか?”
 そう考えて思い浮かぶのは、“丸くて、真ん中に穴の開いていて、油で揚げた甘い食べ物”というものでした。
そのイメージですと、「丸い」「穴がある」「揚げている」この三つの要素がドーナツの定義だということになります。
しかしねじりドーナツは丸くありませんし、穴が開いていないドーナツも、揚げていないドーナツもあります。

ただそれらには「めじり」や「焼き」「クロワッサン」など「ドーナツ」の前に、一言添えられています。
そのことから、本来のドーナツとは違った点があることを表していると感じます。そう考えると、やはりドーナツは丸くて、穴がある、揚げた甘い食べ物なのだろうと思います。
そしてそれとは違っている点を“うり”にしているドーナツが多々あるということになるような気がします。
ドーナツは、「本来は、丸くて、真ん中に穴がある、揚げた甘い食べ物だが、そこから派生したものや、変形したものが数多くある」ということになりそうです。

「ドーナツの穴を残して食べる方法があるのか?」
 数か月前にそんな文章をインターネットで目にしました。
 言葉の表現で考えると、「ドーナツには穴がある」しかしこの「穴」はドーナツが“ない”空間を指しているのだと思います。
“ない”空間のことを「ある」という言葉で表現するのは、ドーナツがあるからと思います。
“ない”空間が存在するのは、ドーナツが存在しているからだということになると思います。
 ドーナツが存在しなければ、ドーナツの穴は存在しえないと思います。
 ドーナツが“ある”から、ドーナツの穴が“ある”のだと思います。
 ドーナツがなくなれば、ドーナツの穴はありようがないと思います。
「ドーナツの穴を残して食べる方法があるのか?」
「ない。以上」

 それでは面白くないのだろうと思います。
 常識や物理法則にとらわれずに考えを広げていくことが、この問いの狙いというか、目的というか、面白ところなのだろうと思います。
 そのような問いは、時々見たり聞いたりします。物理法則で片づけてしまえばすぐに結論が出ることを、わざわざ考えを広げていくというか、ある意味こねまわしていると感じることがあります。
しかしそう感じながら自分でも考えてみると、終わらなくなくことがあります。まったく無関係だと思われるようなことに広がり、着地点のない思考を続けているような感じになることがあるのです。

数日前、再びインターネットで「ドーナツを穴だけ残して食べる方法があるか」という話題を目にしました。
これをテーマにした書籍があるそうで、それを取り上げていました。
その内容は様々な分野の大学教授が、この問いに真剣に取り組んでいるようです。

「ドーナツの穴だけを残して食べる方法はあるか?」個人的な印象ですが、この問いは哲学的な思考の広がりはそれほど大きくはないような気がします。

だからこそ、様々な学問で考えることが出来るかもしれません。