2014年8月14日木曜日

「バロン」 テリー・ギリアム監督作品

 個人的に、映画はスクリーンで観たいと思っています。
 しかしテレビ放送や、DVDなどで映画を見ることも好きです。何度か書いていますが、僕が映画を観るようになったのは、テレビ放送で名画を見たことがきっかけだからです。
 
そのため、映画は映画館で観られるのなら、それに越したことはないというか、出来るならスクリーンで観たいのですが、テレビの画面で見ることに抵抗感はなく、それはそれで楽しんでいるのです。
しかし『やっぱり劇場で観たかった』ということもあります。
映画館でみのがした作品を、レンタルビデオを借りて見たときのことです。

 テリー・ギリアム監督の「未来世紀ブラジル」が劇場公開されていた時、先に観た友人が絶賛していました。
 映画は絶賛している声を聞くと、否応なしに『観たい』という気持ちが高まるものだと思います。
 僕自身、興味を持っていた作品だったのですが、友人から「すごく良かった」といわれて、関心の度合いが一気に高くなりました。
 
 それに、映画について会話する場合、お互いが観ている時のほうが、話に広がりがあって楽しいような気がします。
同じ映画を観ても、人によって全く違う感想をもったり、共感する点があったりするものです。それは映画について語る楽しみの一つだという気がします。
「未来世紀ブラジル」は解釈の仕方や、場面に対する感じ方や、全体の評価など、人によって意見が分かれる作品です。
 そういう映画について、他者と話をすると、自分とは違う視点に気づくこともあるのです。

 しかし僕は、「未来世紀ブラジル」劇場で観る機会を逃してしまいましたので、公開から数年後、レンタルビデオで見ました。
そして思ったのが『劇場でみたら感じ方が違っていただろう』ということです。
 世界観や表現の仕方などに独自性が感じられ、そこに主張が込められているいい映画だと思いました。
友人が絶賛する声を聞いていたため、それが先入観になっていたことは否めませんが、それでもとても気にいりました。

 それにしても、もし劇場で観ていたら、もっと作品に入り込むことが出来ただろうと感じました。
 映画館で映画をみる良さは、画面が大きいだけでないと思います。映画館は映画を観るためだけの空間だと思います。
“映画を観るために作られ、映画を観るために閉鎖された空間”といえるかもしれません。
 そこには、映画に集中しやすい環境があると思います。
「未来世紀ブラジル」はそういう環境で観たかった、ビデオを見終ったとき、まず浮かんだのがそういうことでした。

 そのためテリー・ギリアム監督の次の作品「バロン」が公開されたときは、絶対に劇場で観ようと心に決めました。
 そしてその決意の通り、“映画を観るために作られた閉鎖空間”で、この作品を観ました。
 とても気に入って、パンフレットを購入して劇場を出ました。
 さらに数年後、「バロン」がVHSビデオ化されたとき、それを買いました。
 そのビデオは、今までに何回も見ています。

 とても好きな映画なのですが、『未来世紀ブラジルを劇場でみのがした』という後悔が、「バロン」に対する好感度を少し高めていると感じます。
『前作は劇場でみのがしたけど、この作品は“映画を観るために作られた閉鎖空間”で観ることが出来た』
 そういう意識が、満足感を少しだけ高めたと感じるのです。それが作品そのものに対する印象をさらに良くしているような気がします。
 ただそれにしても、何回も見ているのですから、好きな映画であることは確かです。

「バロン」は、物語の中心人物の一人に子供がいるファンタジー映画なのですが、子供向けではないと思います。
「未来世紀ブラジル」もそうですが、作品全体から発散される雰囲気から、屈折した表現を好む監督だということが窺えます。
「未来世紀ブラジル」に比べて、「バロン」は特撮も脚本も“より手が込んでいる”と感じます。
また、『ちっとも笑えない』と感じる人もいると思いますが、毒気を込めた笑いが随所にちりばめられていると思います。それはテリー・ギリアム監督らしさだと感じます。
 独特の映像と物語の展開に、監督の主張があるように思います。

 気に入った映画を劇場で観た時、その後、毎日のようにパンフレットを眺めて余韻に浸ることがあります。それが目的でパンフレットを購入することがあります。
「バロン」のパンフレットも、よく写真を眺めたり、解説を読んだりしたものです。
 その解説文の中に、「匿名希望の大スター」という言葉がありました。演じている役者の名前が伏せられているのです。

 この作品より前に「グッドモーニング・ベトナム」を観ていたのですが、「匿名希望のダスター」が誰なのか気づきませんでした。
 その後、「レナードの朝」や「フック」「ミセス・ダウト」などを観ても、「バロン」の“月の王”を連想することはありませんでした。

 随分あとになってから、「匿名希望の大スター」の名前を聞いて、『言われてみれば』と思い至ったのです。