2014年8月25日月曜日

総モンスター化時代

 少し前から「モンスター」という言葉を耳にする機会が増えたと感じます。
 若いころだったら「モンスター」と聞いて個人的にまず思い浮かべるのは、トヨタニュー7のエンジンを搭載したモンスター・セリカリフトバックや、「喉が渇いて困るなら、トマトジュース買ってやる」という歌詞の曲だったと思います。
 数年前だったら「ポケットモンスター」や「モンスターハンター」という言葉が浮かんできたような気がします。

 近年、「モンスター」という言い方を強く印象づけたのは、「モンスターペアレント」という言葉だと感じます。
「モンスターペアレント」は、数年前から見たり読んだりするようになった感がありますが、この言葉は広がり方が速かったという印象があります。
言葉が短期間で社会に浸透したと感じるのです。

そして最近、この「モンスターペアレント」と同じような使い方の言葉を、時々目にしたり耳にしたりします。
「モンスターペイシェント」や「モンスター社員(新入社員)」「モンスタークレーマー」などです。

この「モンスター」は、自己の正当性や権利を強く主張し、一般的な感覚からすると過剰な謝罪や代償を要求する人物に対して用いられている言葉だと思います。
自己の権利が侵害されたことで過剰な要求をする場合もあれば、権利が侵害されることを未然に防ぐために要求する場合もあるようです。
ただモンスターは、自己の主張はあくまでも正当であり、自分の要求はあくまでも正しいものであると確信していることが多いと聞きます。
また、自分はあくまでも被害者であり、他者から見れば過剰でも、当人は至極真っ当な要求としていると強く信じていることが多いようです。

『私は間違っていない。被害者なんだから当然のことを言っているんだ』
 多くの場合、確かに間違ってはいないのだろうと思います。
 ただあまりにも自己中心的になると、他の人の目にはモンスターに見えることがあるだろうと思います。
人間社会には、多くの人と様々な関わりがあるのですから、いくら自分にとって正当な言い分であっても、そのすべてが通るとは限らないものだと思います。
また複雑な繋がりがある社会で、円滑な人間関係を気付くには、時に引くことや譲ることや諦めることも必要だと思います。
しかし人間は、それが見えなくなることがあるような気がします。

正しい主張をしているのに、対応が不十分だと感じると、人間は自己正当性をより強く感じるようになり、権利意識がさらに強まるような気がします。
そして一切の妥協をせず、むしろ要求は大きく、強くなるような気がします。
『こっちは正しい主張をしているのに、相手が正しい対応をしないだ』
他者から見れば、常軌を逸するほど過剰な謝罪や代償を要求していたとしても、本人はまったくそう思っていないことも多いような気がします。

『こっちは迷惑を被ったんだ。謝罪するは当たり前じゃないか』
『こんな目にあわされて黙っていられるか。徹底的に弁償させてやる』
『こんな目にあわせるやつは、やっつけなければならない。徹底的に叩き潰してやる』

 そのように次第に感情が高ぶり、それに思考が従っていくことがあるような気がします。しかしそれを自覚していないことも多いと思います。
 他者からみれば「モンスター」でも、本人にはその認識がないことが少なくないと思うのです。
 ただ、「モンスター」だと自覚しながらも、『改めよう』とか『この辺でやめよう』という意識は湧かないこともあると思います。

『そうだよ。私はモンスターだよ。だからなに? 向こうが悪いんだから、モンスターになって徹底的に叩き潰してやるんだ。それのどこが悪いんだ』
『私がモンスターになったのは、あいつのせいだ。あいつが悪いんだ。あいつのせいで私はモンスターになっちまったんだ』

 こうして考えていると、モンスターになる心理は多くの人が持っていると感じます。
 誰もがモンスターになる可能性を秘めているといえるかもしれません。
 そして近年、それが強まる一方だと感じます。
 誰もが、モンスターになりやすくなっているような気がするのです。

 何度か書いていますが、現在の人間は自我を強める傾向があると感じます。
 そして自我を守ろうとする意識が強まる傾向があると思います。
“モンスター化”は、すなわち自我の表れといえるかもしれません。
『金銭的に得しよう』とか『取れるだけ取ってやれ』という利害を狙ったモンスターもいると思います。
 しかし損得勘定ではなく“モンスター化”している人の方が多いような気がします。
 
 パソコンやスマートフォンは多くの人とのつながりを作ります。しかし大抵の場合、その画面は自分一人だけで見るものだと思います。
 画面は自分一人だけの世界でありながら、その画面を通して多くの他者との繋がっているような気がします。
 それは、人間が自我を強める要因の一つなのかもしれません。

“総モンスター化時代”が近づいていると感じることがあります。