2014年8月7日木曜日

記憶


 人類が今までに手に入れた兵器のなかで、もっとも大きな破壊力をもっているのが核兵器だと思います。

その核兵器を、人類は一度も使わないことはあり得ただろうか?

以前、そんな疑問を書いたことがあります。

 

この問いに限らず、“あり得たのか?”という疑問ならば、多くの場合“あり得た”という答えになると思います。

 過去には無数の“もしも”があると思います。

 その“もしも”の組み合わせによっては、“人類は核兵器を生み出したが、それを一度も使ったことはない”ということは、いくらでも考えられると思います。

 しかし人類は核兵器を使いました。

 

「抑止力」という言葉があります。集団的自衛権の行使を容認する閣議決定をしたとき、首相は何度か「抑止力」を口にしていたと思います。

 核兵器に関しては「核抑止力」という使われ方をします。

「核」で、「抑止」する、「力」。

こう書いてみると、本来とは違う意味合いが思い浮かびました。

核兵器を“使うこと”で抑え込むことができる、というものです。

 もしかしたら、初めて核兵器が実戦で使われる前は、そのように考えられていたのかもしれません。

 

それまでに人類が有していたどんな兵器よりも、核兵器は圧倒的に強力な破壊力をもっていると思います。

 文字通り桁違いに強力な兵器を使うことで、戦争をしている相手国を抑え込むことが出来ると考えられていたかもしれません。

 人類が実戦で行った二度の核攻撃は、“戦争を終わらせる”ことが大きな理由の一つだといわれています。

 それは、圧倒的な破壊力をもつ核兵器を実戦で使うことで、戦争が続くことを“抑えた”といえるかもしれません。

 核兵器を使って抑えるということです。

 

 しかし「核抑止力」という言葉は、そういう意味で使われているわけではないと思います。

核兵器は、“持っている”ことで戦争を抑える力があるという意味合いだと思います。

 核兵器はあまりにも強力な破壊力があるため、それを持っている国に対しては、戦争を仕掛けられないということだと思います。

 戦争を仕掛けて、核兵器で反撃されたら大変な打撃を受けてしまいます。

 

 また、対立する国の双方が核兵器を持つことで、戦争が起きることを抑えるという考え方だと思います。

どちらも核兵器をもっているのですから、どちらかが核攻撃を行えば、もう一方も核兵器を用いて反撃すると思います。両国が核ミサイルを打ち合ったのでは、人類が滅びてしまうほどの大きな被害がでることもあり得ると思います。

 

 そうなると、どちらからも核攻撃をすることは出来ないと思います。

 核兵器を持っていることで、核攻撃を抑止しているといえると思います。

 核兵器を使うのではなく、持っていることで、戦争が起こることや、自国が武力攻撃を受けることを抑えるということだと思います。

 

 そのように、核兵器を持っていることで、他国から武力攻撃をうけること、ひいては戦争が起こることを抑えるのならば、その破壊力を示したほうが効果的だと思います。

核兵器がいかに圧倒的な破壊をもたらすのか、知らしめたほうが抑止力は強く働くと思います。

つまり、一度でも実際に核兵器を使ったほうが、抑止力は強まるということです。

 それは核兵器を使う理由になり得たかもしれません。

 人類は今までに二回の核攻撃を行っています。

もしその核攻撃が行われていなかったら、人類はその後も核兵器を実戦で使わなかっただろうか?

使っていたかもしれません。

 

核兵器の破壊力を目の当たりにしなかったなら、抑える力は強まらないかもしれません。

抑止力が強くないのなら、核攻撃を行うかもしれません。

東西冷戦時に、人類史上初の核攻撃が行われたかもしれません。

人類は壊滅的な惨状を目にしたかもしれません。

 

 人類が今までに行った二度の核攻撃は、その破壊力を世界に示したといえるかもしれません。

しかしその攻撃は、あまりにも非人道的だったと思います。

かの戦争では、軍によって多くの民間人を殺戮することが行われていたと聞きます。

軍事作戦の一つとして、当たり前だと受け止められていたように感じられます。

核兵器は、その軍事作戦に有効な兵器だと考えられていただろうと感じます。

核兵器は、軍人が民間人を大量に殺戮するために生み出された兵器だということです。

核兵器による惨状は、人類に明確で強い一つの倫理観をもたらしたのかもしれません。

 

 現代の世界は“軍人が民間人を大量に殺戮すること”を許さないと思います。

 しかし、かつての戦争において、それが当たり前のことだと考えられていたなら、この先ふたたびそうなることがないとは言えないような気がします。

 

 今の世界には、軍が民間人を狙って攻撃したと思しき事態が起きています。

 民間人を盾にし、民間人が犠牲になることを利用しようとしていることもあるかもしれません。

 民間人が犠牲になるとわかっていながら、攻撃をしたこともあるかもしれません。

 人類は一度手にした倫理観を、捨ててしまうかもしれない。そう感じることがあります。