2014年8月15日金曜日

今の大衆に潜む危険性

多くの場合、戦争を始めるのは政治家だと思います。
ただ戦争が始まるときは、大衆がそれを支持していることが多いと思います。
 過去の戦争を振り返っても、現在起きている武力衝突に目を向けても、それが感じられます。
 
民主的な政治体制の国では、大多数の国民が反対していると、政治家が戦争を始めるのは簡単ではないと思います。
 国が戦争を始めるには、それに賛成する国民が大勢いるものだと思います。
戦争を始めることに反対するデモが起きたとしても、“大多数の国民が反対している”とはいえない状況が多いと思います。
 
専制的な政治体制を持つ国では、大多数の国民が反対していても、一部の人間の独断で戦争を始めることがあると思います。
専制的な政治体制の下では、軍も政治も同じ一部の人間によって動かされている場合が多いと思います。
そのような国では、国民の大多数が戦争を始めることに反対していても、それを口にすることすら許されないこともあると思います。

 それは独裁的な政治体制でも見られることだと思います。独裁者は大衆の支持を受けて生まれることが多いと思います。それは絶大な権力を手にする第一歩になると思います。
それに政治的な駆け引きや、策謀を張り巡らすことで独裁者が生まれることがあると思います。
 独裁者も、軍は自らの支配下におくものだと思います。

 絶大な権力を握った独裁者は、国民に対して強権的な政治を行うことが多いと感じます。
 大衆は独裁者を生み出すことに大きな役割を果たしながら、その独裁者に支配されることになるということです。
 その時になって、大多数の国民が戦争を始めることを反対しても、独裁者はそれを口にすることすら許さないこともあると思います。
 
また、軍が政治を行う国もあると思います。
形式的には軍と政治が分かれている国でも、実質的に軍が政治に強く干渉する国もあると思います。
戦争を始めるには、軍人の声が強い影響力を発揮すると思います。
国民は戦争に反対の意思を示すことが出来ないことがあると思います。

ただ、専制的な政治体制の国であれ、独裁者が絶対的な権力をもつ国であれ、軍事政権による国であれ、民主的な政治体制の国であれ、戦争をはじめるときは、大衆がそれを支持している場合が多いような気がします。
情報が統制されることもあると思います。
戦争を始めたい人間は、大衆がそれを支持するように誘導するために情報を使うこともあると思います。

 しかし現代は、情報伝達技術の発展によって、膨大な情報があふれています。技術が進化する速度もはやいため、情報統制は難しくなっていると感じます。
 ただ膨大な情報があふれているということは、多様な意見が飛び交ってもいいと思います
 そうなれば、国民の意識や意見が多様化すると思います。
 実際には、そうなりにくいと感じます。

 インターネットは、意見が多様化しない傾向があると感じます。
 様々な考え方が発せられるのではなく、一つの意見に非常に多くの人が同調することが多いと感じます。
あるいは一つの意見に対して、賛成と反対の二つにわかれることが多いと感じます。
 つまり、一つか二つの意見に集中するばかりのような印象があるのです。
 それは色々な危険性を孕んでいると感じます。
 中東で頻発した政変は、インターネットによって非常に多くの人が一つの声に同調し、それが結果的に思慮の浅い行動を引き起こすことになったように見えます。

 インターネットは、大衆を同調しやすくしたと感じます。
 そして近年の大衆は、志向が強硬的になる傾向があると感じます。
 自己正当性を強く主張し、他者に対する攻撃性を強める傾向があると感じます。
それは大きな危険性を秘めているような気がします。
 しかし、大衆はそのことに全く気付いていないと感じます。

 ただ離れたところから見ると、それに気づくこともあると思います。イスラエルやロシアやウクライナの大衆に危険性を感じる人も、世界には大勢いると思います。
 また離れたところから見ると、日本や中国や韓国の大衆に危機感を覚える人もいると思います。
 それでも当の国の国民は、あくまでも自分たちが正しいと信じて疑わない傾向があると思います。

 今、政治家がするべきことは、大衆のナショナリズムを抑えることだと思います。離れたところから見ると、そうするべきだということが良く見えると感じます。
 そして今、政治家がしてはならないことは、大衆のナショナリズムを煽ることだと思います。
 大衆がナショナリズムを強めることは、結果的にその国を困らせたり、追い詰めたりすることになると思います。
 しかし大衆にはそれが見えていないと感じます。
 だからこそ政治家が抑えなければならないと思います。
 しかし、政治家はその認識がないばかりが、自らもナショナリズムを強めるばかりだと感じます。
そういう政治家は、大衆のナショナリズムを煽ることもすると感じます。
 そんな政治家は、現在の世界を認識する能力がないといえるのかもしれません。
 今の世界には、大衆と実力者のナショナリズムの高まりに苦慮している人物がいるような気がします。

それが見えてない政治家がいると思います。