2014年8月30日土曜日

法の支配

 日本は法治国家だといわれています。
 色々な法律があり、法律があることで社会が作られているという見方が出来ると思います。
 
多くの人間が集まって生活しているからには、様々な事柄でぶつかり合いが起こるものだと思います。
 人間社会から対立がなくなることなどないと思います。
 そこで法が必要なのだと思います。

 ただ法があっても誰も守られなければ意味がないと思います。
 法が守られることで社会が成り立っているという見方が出来るような気がします。
 しかし法が守られるとは限りません。人間社会には法をやぶる者が必ずいると思います。
 そこで法の下に権限を与えられ、法を破るものを取り締まる機関が必要だと思います。
 
 こうして考えると、社会を統べるには、法とそれを守る機関が必要だという気がします。
 実際に多くの国や地域に法があり、それを守る社会に仕組みがあり、法を守る機関があるように見えます。

 ただそれは、一つの国や地域だから出来ることかもしれません。
 世界、つまり国際社会は、法によって支配されているとはいえないと思います。
殊に国と国との対立に関しては、法の支配を受けていないと思います。

国際社会に法があることは確かだと思います。 
しかし実質的に、紛争など国家間の対立を解決するための法はないと思います。
法がないのですから、それを取り締まる機関もないと思います。

今の国際社会は、法で支配することなど出来ないのかもしれません。国際社会があまりにも多様だからです。
法によって支配するには、まず法を作らなければならないと思います。
国際社会において、それは至難だと思います。

世界には多くの人間が暮らしています。その多くの人間が、多くの国や地域を作って暮らしています。
そして、すべての人に思想や価値観があると思います。
民主主義によって人々を束ねるべきだという考えもあれば、少数の統治者によって国を治めるべきと考える人もいれば、宗教の教えに従って統治をするべきだと信じる人もいると思います。
そのような考え方や思想は、国や地域によってある程度のまとまりが見られるものだと思います。

この世界には、全く違う価値観や思想をもった、国や地域が混在しているということです。
そうなると、そのすべてが受け入れられる法をつくることなど、相当に難しいと思います。
法を作っても、受け入れなければ守られませんし、守られなければ法の意味がないと思います。

そこで人類は、世界を“法の支配”によって束ねることを諦めているような気がします。
しかし法で支配することを諦めたからといって何もしなければ、国と国は争うばかりになると思います。多くの血が流れるばかりになると思います。
そこで国際社会は、話し合いをする場をつくったのだと思います。
 国連はその話し合いをする場といえるかもしれません。

 国連は国が集まって話し合い、その話し合いによって、何かしら決定を下そうという場だという気がします。
 国連がもっている権限がすごく強いというわけではなく、国連で話し合って決まったことに、ある程度の力があるのだと感じます。
 話し合って決まったことを守らないと、話し合った国々から制裁を与えられることがあるからだと思います。

 国連は話しあいの場というだけでなく、国際社会において様々な役割を果たしていると思います。
 複雑になるばかりの世界では、国連の役割は増えるばかりだと感じます。
 そしてその多くを、国連は果たしているように見られます。
 
ただ今の世界は、話し合いで国と国との対立を収めることが難しくなっていると感じます。
 それは、国連では国家間の紛争を収めることが難しくなっているということになるような気がします。

 国家間で争っているから国連で話しあうのだと思います。
しかし、その話し合いは争いの構図がそのまま持ち込まれるだけだと感じます。
 国と国が対立するのは、それぞれに求めるものがあり、主張があるためだと思います。
 国連での話し合っても、同じ対立をするだけだと感じます。
 
 また国連に加盟している国には、それぞれに他の国と繋がりをもっていると思います。
 そうなると国家間の対立では、どちら側にも味方をする国があるものだと思います。
 結局、話し合いでは割れるだけで、事態を収めることは出来ないように見られます。

 今の人類は対立を収める能力をなくしているような気がします。
互いが一歩も引かなければ、ぶつかり続けるしかないことなど、当たり前だと思います。
 しかし対立の当事者になると、たとえ半歩でも引き下がることなど出来ない、引くことが間違いだと感じるばかりに見えます。
 そうなると、『どうせ出来っこない』と諦めていた“国際社会を法の支配で束ねること”を本気で目指すべきだという気がします。
 非常に難しいことですので、法を定めるだけでも相当な時間がかかると思います。

 だからこそ、動きはじめなければならないような気がするのです。