2014年8月9日土曜日

倫理観を崩壊させるかもしれない兵器


 核兵器は非人道的な兵器だと思います。

 その破壊力はあまりにも強力で、非常に多くの人命を奪ってしまいます。

 この世界には様々な武器や兵器があります。そのなかには“傷つけること”や“捕えること”や“戦闘を不可能にすること”や“戦意を喪失させること”などを、主な目的としているものがあると思います。

 しかし兵器や武器全体をみると、人間を殺すために作られたものが圧倒的に多いと感じます。兵器の多くは、人の命を奪うことを目的としているものです。

 核兵器は、一発だけで非常に多くの人間を殺戮します。殺戮を目的とするなら、すぐれた兵器といえるかもしれません。

 

 実際にそう考えられたために、開発され、使用されたのだと思います。核兵器は一人で生みだせるものではないでしょうから、開発や運用に関わった人のなかには、その非人道性を強く感じていた者もいたと思います。

 ただ当時、軍が民間人を狙って攻撃することは、軍事作戦として当たり前だったという印象があります。

 人道性の感じ方も、今とは違っていたはずだと思います。

 

 核兵器が非人道的なのは、多くの民間人を犠牲にすることが、わかりきっているからだと思います。

 人類は二度の核攻撃を行っていますが、いずれも民間人を標的としたものでした。

 もし三度目の核攻撃が実施されるとしたら、軍や政治の中枢を狙うかもしれません。しかし、核兵器の破壊力はあまりも強力で、しかも放射能を広範囲にまき散らします。

 そのため軍だけに打撃を与えるわけにはいかないと思います。

 核兵器を使ったら、多くの場合、何を狙ったにしろ非常に多くの民間人を犠牲にすると思います。

 核兵器は、民間人を犠牲にすることをいとわない兵器といえるかもしれません。

民間人の犠牲を前提とした兵器といえるかもしれません。

 それは非人道的だと思います。

 人類は、そう認識するべきだと思います。

 

近年、核兵器の対極にある兵器が開発されていると聞きます。

核兵器は、広範囲に壊滅的な破壊をもたらすものだと思います。

そうではなく、狙った範囲だけを確実に破壊し、周辺には被害を与えない兵器です。

現代の戦争は、そういう兵器が求められえているのだと思います。軍だけを狙い、民間人の犠牲を出さない兵器です。

 

空爆では多くの民間人を犠牲にします。精密に狙うことが出来たとして、どこを狙えばいいのか、それをはっきりさせなければ撃てないと思います。精密であるがゆえに、狙った場所から目標がずれていたら当たらないということになります。

しかし事前に目標の位置を正確に把握することは、難しいものだと思います。

結局、ある程度広い範囲を破壊することになると思います。

また、戦闘に関する情報は、常に正確だとは限らず、誤爆することをなくすことは難しいと思います。

それに、軍や武装勢力は、民間人の近くから攻撃を仕掛けることも少なくないと思います。

 

軍による攻撃は、目標を絞り込むほど近づかなければならなくなっていると思います。しかし敵に近づくほど、危険は高くなるものだと思います。

ロボットだったら、人間の兵士の危険性はなくなります。

ロボットで軍事施設や軍隊だけに的を絞って攻撃することが出来るなら、それは核兵器のような非人道性はないといえるかもしれません。

 

しかもそのロボットが自律的に攻撃を行う、つまり人間が操縦していないとしたら、兵士の身が安全なのはもとより、心理的な負担も大きく軽減できると思います。

軍に無人航空機が導入され、実際に戦闘に使われていると聞きますが、操縦する兵士の心理によからぬ影響が表れることがあると聞きます。

操縦するのではなく、ロボットが勝手に破壊と殺戮を行ってくれるなら、兵士の心も安全だということになるかもしれません。

 

そう考えると、ロボット兵器は、あらゆる兵器の中でも非人道性が低いという向きもあると思います。

 しかしそれだけに、危険があると思います。

 非人道性が低いと見なされるがゆえに、簡単に使われてしまうようになるかもしれません。

 戦闘を回避する努力がおざなりになるかもしれません。

 

ロボット兵器は、民間人の犠牲にすることなく、また軍や武装勢力に対しても最小限の破壊しか与えず、しかも人間の兵士が危険にさらされることはない人道的な兵器だと考えられるかもしれません。

しかしそれだけに、闇雲に戦闘を行うようになるかもしれません。

やがて人類は倫理観を崩壊させてしまうかもしれません。

ロボット兵士で民間人を殺戮させるかもしれません。

敵対する勢力の双方がそれを行うかもしれません。

それは大量虐殺になるかもしれません。

何のためにロボット兵士を開発したのか、人類は忘れてしまうかもしれません。

 

 今、民間人の犠牲が出ることを厭わない軍事行動が起きているように感じます。

 倫理観が崩壊しようとしているのかもしれません。

再び、軍が民間人を標的にするかもしれません。
 倫理観が崩壊するとき、多くの場合、それを自覚していないものだと思います。