2014年9月11日木曜日

責任を散らすための人事

“わからない”
 それ自体、リスクだと思います。
“予測することが難しい”
 それ自体、リスクだと思います。
 先のことは、誰もわからないと思います。
予測することが難しい状況では、“先送りすること”それだけで大きなリスクを負うと思います。

 消費税を10%に上げる決断は、首相が下すことになっています。
 GDPが目安とする数値に達していなかったら、増税することは、ほぼ出来ないような気がします。
 数字は増税を判断する材料の一つに過ぎないと思います。
しかし数字には説得力があります。
 数字が目安にする値を下回っているのに、増税するには強い反発があり、現実的にかなり難しいと思います。
 
 ただGDPの数値が目安の値を上回ったとしても、増税に反対する声があがると思います。
 どんな時でも、増税には必ず反対意見があるものだと思います。実際、消費税の税率を二段階であげることを決めた時にも、8%に上げる時にも反対はあったと思います。
 近ごろの経済状況では、目安より数値が上回っていたとしても、増税に反対するは小さくないと思います。
 数字は増税を判断する材料の一つに過ぎないからです。

 また、数字が目安の値を下回っていたとしても、上回っていたとしても、増税するべきだという意見も聞かれると思います。
 数字は増税を判断する材料の一つに過ぎないためです。
 数値ではなく、あくまでも首相が決断するのだと思います。

 仮に、GDPが目安の数値に達しなかったため、一年なり半年なり期間を決めて、増税を先送りしたとします。
数値を大きな根拠にして先送りしたのですから、その期間に数値が上回らない限り、増税は出来ないと思います。
 このところの為替と株価は予測が難しく、先送りした期間に金融をさらに緩和しても、GDPの値が上がるとは限らないと思います。
 確実に数値を上げる方法などないと思います。
 そうなると、再先送り、再々先送りをしなければならないこともあり得ると思います。

 仮に、数値が目安を上回りながらも、一年なり半年なり期間を定めて、増税を先送りしたとします。
その場合、その期間の数値が今回の数字と同じだったとしても、増税するのは簡単ではないと思います。
 数値を根拠として重んじていないからです。
 しかしその期間、確実に景気をよくする方法などないと思います。
昨今の経済は外国からも大きな影響を受けます。世界のどこかで何か大きなことが起こると、それが日本の経済の数値を大きく動かすこともあると思います。

仮に無期限で増税を延期すると、増税することは非常に難しくなると思います。
政治的に見ても、当分の間、増税は出来ないような気がします。それでも国がやっていければいいのですが、増税に反対している人も『いずれ消費税をあげることは必要だ』と言っていることからも、相当に厳しいのだろう思います。

ここ数か月のGDPの数値は、経済対策の“芯の細さ”を表しているような印象を受けます。
消費税を8%に上げた時、相当な額を反動減対策に使ったと思います。
しかしその効果がなかったということになると思います。対策は失敗だったといえるかもしれません。

数値が良くないのは天候不順が大きな要因だといわれています。しかし、それ以前から消費者の心理が落ち込みはじめていたと感じます。
振り返ってみると首相の名をもじった経済対策は、イメージに頼る面があったと思います。
時間が経つとイメージによる効果は薄らぐものだと思います。
そのイメージが薄らぎ始めた頃、安全保障や内閣改造に政治の意識が注がれたため、経済政策の印象が薄らぎ、その“いいイメージ”が急速に霧散した感があります。
それは経済政策の“芯の細さ”の表れだと感じます。

首相の名をもじった経済政策は、日本の国民の間に“盛りあげよう”という空気があったため、特に国内ではイメージがよくなったと感じます。
外から見ている人たちは、もう少し冷静だったと感じます。
今回、消費税の税率を上げられないとなると、首相の名前をもじった経済政策は『効果が小さかった』、あるいは『失敗だった』という見方をするかもしれません。

まして増税を先送りし、その期間内にGDPがあげられなかったとしたら、あるいは無期限に増税を延期したら、評価は相当厳しくなると思います。
『日本の首相は、経済政策に失敗し、財政の立て直しにも失敗した』
 そういうイメージを抱かれるかもしれません。
そうなると、それは日本の景気を悪くする要因になると思います。

 誰も未来のことはわかりません。先送りするというとは、それだけでリスクを背負うと思います。
また「その時になったら、私が決断します」というやり方は、この政策の進め方として大きな失敗だと思います。
 8%にあげる時から、それに気づいたのかもしれません。だから、何度も人を集めて話を聞き、“私”の責任を薄めようとしていたのかもしれません。
 せめてその時に10%にあげるところまで決めていれば、今年の暮れに非常に難しい決断をせずに済んだかもしれません。
8%にあげた反動減も、もう少し小さくて済んだかもしれません。

 10%に上げるかどうかの決断は、上げようと、先送りしようと、批判の声が少なからず上がると思います。
そこで決断をしたあと、“私”の責任を分散させようとしていると感じることがあります。

増税を強行するための人事だと感じている人もいるようですが、決断した“私”の責任を散らすための人事だという印象を受けます。