2014年9月6日土曜日

冷戦の亡霊

東西冷戦が行われていた頃のことを覚えている人は大勢いると思います。
 東西冷戦が終わってから、今日までのことを覚えている人は大勢いると思います。
 しかし人は、覚えていることを思いだすとは限らないものです。

 かつて世界は大きく二つに分かれていたと思います。
 その状況を端的に言い表すのが「東西冷戦」という言葉だと思います。
直接軍事力を使ってぶつかりあうのではないため“冷たい戦争”と呼ばれたのだと思います。

戦争とは本来、軍事力をぶつけ合い争うものだと思います。
冷戦はそうではなかったと思います。しかし「戦争」と言い表されていました。
東側と西側が対立する構図は、“戦争”だと多くの人が認識していたのだと思います。
それは直接軍事力をぶつかり合うことはなかったものの、軍事力の対立という構図だったからだと思います。
軍事力を高めることを競い合い、それを見せつけ合っていたような印象があります。
軍事力を使った対立だったために“戦争”と認識されていたのだと思います。

その冷戦で、“抑止力”という作用が働くようになったと感じます。
一般的なものの見方をすれば、力を強化するのは、力を使うためだと思います。
しかし冷戦がはじまる前に、人類はあまにも大きな破壊力をもつ兵器を手にしています。
核兵器がもつ強大な破壊力を使ったら、その被害は人類全体にとって非常に大きな痛手になりかねないと思います。
 そして何よりも、強大な破壊力を持つ核兵器は、非常に多くの非戦闘員の命を奪うことを前提とした兵器だと思います。
 それがどれほど非人道的であるか、人類史上現在までに二度行われた実戦の核攻撃が物語っていると思います。

核兵器による軍事力を強化すればするほど、戦争を行うわけにはいかなくなったと感じます。
戦争が始まってしまえば、核兵器を使ってしまう輩が必ずいると見られていたからだと思います。
強化することを競いあうことで、戦争するわけにはいかなくなったという状況になったのだと思います。

そんな東西冷戦は終わりました。
東側の民衆がそれを求めたことは大きな理由だと思います。それは起こるべくして起こった感があります。
しかし冷戦が終わった瞬間から、東側の民衆の暮しが劇的に良くなったわけではないと思います。
社会主義のほうが良かったという声もあったと聞きます。
それでもそれを乗り越えて、東側の中心だった大国は、経済成長を果たしたように見られます。
 
 東側の大国が経済成長することが出来たのは、社会主義という国の政治体制を変えたことが大きいと思います。
 ただ、“東西冷戦が終わった”、それ自体がとても大きな理由だと思います。 
“冷たい”とはいえ冷戦は戦争だったと思います。戦争をしているからには、その相手と商売でつきあうことは出来ないものだと思います。

 そもそも戦争とは、破壊をもたらすものだと思います。
 破壊とは喪失をもたらすものだと思います。
 戦争とは、減らし続ける行為といえるかもしれません。
 
豊かになるということは、増えることだと思います。
そう考えると、減らし続ける行為をしている間は、豊かにはなれないと思います。
冷たかろうが熱かろうが、戦争をしていると、戦争をしているものが豊かになれるはずはないのかもしれません。

かつての大戦を体験した人は少なくなっていると聞きます。その記憶を持っている人は確実に少なくなっていくと思います。
しかしその後も世界には紛争や戦争など、軍事力を使ったぶつかり合いがあります。
それを体験し、記憶している人はいると思います。
それを思い出してみると、戦争をしている間は、失い続けていたと思うかもしれません。
戦争が終わってから、得られるようになったと思う人がいるかもしれません。

冷戦時代の記憶をもっている人は、まだ大勢いると思います。
その記憶を呼び起こせば、冷戦時代はよかったのか、わるかったのか、またあの頃のようになった方がいいのか、ならない方がいいのか、ということを考えられると思います。

今から数年前、冷戦が終わって久しいと感じられる頃のことを覚えている人も大勢いると思います。
その頃を思い出せば、冷戦時と比べてよかったのか、悪かったのか、またあの頃のようになった方がいいのか、ならない方がいいのか、そのようなことを考えられると思います。

そしてここ数年間、世界は急速にきな臭くなったと感じます。
それ以前のことを思い出せば、きな臭くなる前のほうが良かったのか、悪かったのか、またあの頃のようになった方がいいのか、ならない方がいいのか、そのようなことを考えられると思います。

冷たかろうが熱かろうが、戦争は喪失をもたらすだけだと思います。
喪失をもたらすことなどしないほうが、得られるものが多いのは当たり前だと思います。
しかし人は争いをしてしまうものだと思います。人間は争いをしてします心理があると思います。

ただ国の中心にいる人物のなかに、冷戦時代の観念に縛られている者がいるようにも見られます。