2014年9月18日木曜日

難しいことから考えはじめる

現在の戦争は終わらせることが難しいと思います。完全勝利する形にならないからだと思います。
大量の民間人を殺戮することで降伏させる戦い方はゆるされなくなっていると思います。
また、国際社会はつながりが複雑になり、戦力にものをいわせてむやみに殲滅するわけにはいかなくなっていると思います。

完全勝利がないとなると、どこかで終わらせようとしなければ、戦争は終わらないと思います。先が見えないまま血を流し続けることになると思います。
しかし、どこでどのようにして終わらせるか、それは本当に難しいことだと思います。
戦闘を仕切っている者や、戦いを仕向けている人物が無能である場合、戦いを終わらせることなど考えても答えが出せないため、そんなことは端から頭になく、ただ戦うことを命じ続けることもあるかもしれません。

 そして時に、感情によって戦いをはじめることがあると思います。その場合、終わらせるのに、散々苦労する場合があるような気がします。手を引きたくても、引けないこともあるかもしれません。
 政治家も報じ手も人間ですので、感情を思考から切り離すことは簡単ではないと思います。また報じ手は、洞察力や先見性をもつ者ばかりではないと思います。大衆に好まれる声を発するのは、売り上げのために媚びているだけでなく、報じ手も大衆と同じ次元の目線で見ているからかもしれません。

戦いを終わらせることなど、端から考えていない勢力もあると思います。
過激派武装勢力はその一つだと思います。
 過激派武装勢力が求めていることが実現することはないと思います。
 しかし過激派武装組織は、あくまでも自分たちの掲げる目標を達するまで戦いをやめないと思います。
 つまり過激派武装勢力が停戦することなどない、ということになると思います。
 戦いをやめる気が一切ない相手と戦いを始めるということは、やめられない戦いをはじめるということになると思います。

 この戦いは、やめることが難しいと思います。
 難しいことにあたるときは、そこを起点にして考えたほうがいいかもしれません。
どこでどうやって戦いをやめるのか、そのためにはどのような形で戦いを始めるべきか、そういう経路で考えるということです。

 テロリストを殲滅することは出来ないと思います。
 過激派武装勢力は、民間人と同じ空間に存在していると見られます。武装勢力だけを攻撃するには限界があると思います。
 仮に民間人の犠牲をいとわず攻撃したとしても、テロリスト全員を殺戮し尽くすことなど不可能だと思います。
 
 ただ、過激派組織に壊滅的な打撃を与えることは、不可能とは言えないと思います。
 それにしても相当に難しいと思います。地上軍の派遣が取りざたされているのは、空爆で効果をあげることが難しくなってきているからかもしれません。
 しかしゲリラ戦は軍事力の差が出にくいものだと思います。ましてテロリストもある程度の装備を持っているといわれています。世界最高水準の特殊部隊でさえ出し抜かれることもあると思います。
 
大国は、過激派勢力に壊滅的な打撃を与えて手を引くという形にせざるを得ないと思います。しかし壊滅的打撃を与えることは難しく、また仮にそれを成したとしても、その後も地域は混乱が続く可能性が高いため、またしても撤退したくても出来ない状況になることもあり得ると思います。
 先をよく見据えて、練っておく必要があると思います。

 ところで急に大きくなった集団には、色々な問題が出ることがあると思います。
 よほどの求心力がなければ、急速にこれほど大きな勢力にはならなかったと思います。
 その“よほどの求心力”とは何なのか、それは持続するのか、今後のことを考える上で重要だと思います。
 信心によって集まっていることは確かだと思います。リーダーの存在を知らしめようとしているように見られますが、ほとんど表に出ないことから、現状ではその人物に強いカリスマ性があるわけではないように見えます。
 急速に大きくなった集団の場合、内部に様々な思惑がありながら、勢いでひとつになっていることもあると思います。

一般的に、急に大きくなった集団は、十分に訓練をすることや、統率することが難しいものです。ただずっと戦っていた人が多い組織ですから、大勢が新しく加わっても上手く訓練するのかもしれませし、恐怖を与えることなどで統率しているのかもしれません。
またゲリラ戦では、練度に差が出にくいこともあると思います。それにしても短時間で大きくなった集団の中には、いろいろな人がいるものだと思います。

また、金は人を引き付ける要素だと思います。外国に密輸するなり、外国から資金提供を受けるなりしているのかもしれません。その場合、資金の流れを切ることは有効かもしれません。

そうではなく、国内で油を売りさばいて稼いでいるのかもしれません。それが外国に再版されず、国内で消費しているのかもしれません。また資金提供も国内から受ける分が大きいのかもしれません。その場合、長期的に見ると、いずれは資金繰りが厳しくなるような気がします。