2014年9月24日水曜日

決めたくないなら

初めて“ロボット”という概念が世に出たのは、チェコの戯曲だと言います。
 若いころ、ロボットを描いたSF小説を読むと、あとがきには必ずといっていいほど、そのことが書いてあった気がします。
“人はなぜ人型を作りたがるのか?”
 そんな問いを目にしたとき、ふと冒頭に書いたことが思い出されました。
 そして、ロボットは物語から生まれたのだと思いました。

 人類は、大昔から人型を作ったり、描いたりしてきたと思います。
 土偶や巨像、壁画など人間の形をしたものが多数あると思います。
 それは人間をあらわそうとしたのかもしれません。正確に描写する能力や、造形する技術がなかったため、人間そのものには見えない形になったのかもしれません。
 そうではなく、人間の形を模した人間ではないものを表しているのかもしれません。
 個体によっても、また時代や地域によっても、様々だろうと思います。

 時が流れ人類が文明社会を築いてからも、民話や伝承、宗教に関わる挿話などに、人の形をした人間ではないものが見られるそうです。
 土で作った人型が動き出したり、人の形をした紙が意思を持ったりする話が、世界には色々とあるようです。
 そして近代になると、あらゆる媒体における物語で、人の形をした人間ではないものが描かれるようになったと見られます。

ロボットもその一つだったと思います。
現在、人型をしたロボットが現実に作られています。
しかし考えてみれば、ロボットは物語から生まれたのだと思います。
科学が物語を追従したことで、人型ロボットが現実の世界に現れたといえるかもしれません。

個人的に、人間は人型を目にすると、そこから何かを空想しやすいような気がするのです。
また、空想によって人型をした何かを生み出しやすいような気がするのです。
人型は空想を掻き立てられやすいと思います。

人間はあらゆるものに意思があるという感覚を持ちやすいものだと思います。
飼っているペット、育てている植物、お気に入りのぬいぐるみや人形、使い慣れた道具、長い間乗っている車、住み慣れた家、山や海や川、天候など自然現象などに、人間と同じような意思があるという感覚をもつことがあると思います。
ただその感覚は、無機質なものよりも動物など生命があるものに対する方が持ちやすいと思います。
たたたとえ無機質なものでも、生命や人間を連想させる要素があるほうが、擬人的な感覚を持ちやすいものだと思います。
人間に似た形をしていることは、擬人化しやすいような気がします。

 そして擬人化はそれ自体、想像だと思います。
また擬人化することで、想像を広げやすいと思います。
その造像は物語の形になることも多いと思います。
 人は想像することが好きで、物語を作ることも好きだと感じます。物語に触れることも好きだと思います。
 それは、人間が人型を作りがたる心理に繋がっているような気がします。

 先日、インターネットでロボットに関する実験を取り上げた記事を目にしました。
“危険が迫っている人間を守ってから、命じられた仕事をする”
 ロボットにそれが出来るかどうか、実験したようです。

実験では人間の代わりにロボットが用いられたそうですが、危機が迫っている人間が一人だった場合、被験ロボットはそれを回避させてから、命じられた仕事をしたそうです。
しかし、二人の人間が危ない状況に追い込まれていると、上手くいかなかったと書かれています。
33回実験をしたそうですが、二人とも助けられたのは数回だけだそうです。
一人を助けたものの、もう一人は見過ごしてしまうことが数回あったそうです。
 そして14回は、二人とも助けられなかったとあります。
 ロボットが考え込んでしまって行動しなかったり、動き出すのが遅くなったりして、間に合わなかったようです。

この実験は、被験ロボットが的確に動けば、人間を二人とも助けることが出来るという状況が設定されたようです。
それは、どちらか一人しか助けられない状況や、5人を犠牲にすれば20人を助けられる状況などと比べると、簡単な設定だと思います。
しかしそれでも今回の被験ロボットは、的確に判断し行動することが出来なかったようです。
 
 時々哲学に関する問いで、倫理的に判断しかねるものを見聞きすることがあります。
二人のうち一人しか助けられない状況や、5人を犠牲にすれば20人が助かるような状況に直面したときに、どのような判断をするかという問いもその一つです。
 詳細な状況にもよりますが、「正しい回答などない」という場合が多いと思います。
 それにどんな決断を下しても、批判され非難される場合も多いと思います。
 そんな判断を迫られることは、人間なら誰もが避けたいものだと思います。

 人間は、他人にやらせることで、自分の責任を回避しようとすることがあると思います。

『倫理的に難しい決断なら、ロボットに任せてしまえばいいじゃないか。ロボットが得られた情報を基にして、機械的に判断すりゃいいのさ。これほど冷静な判断はないだろ。みんなだまってそれに従えば、人間が自分で決断するよりずっと楽じゃないか。人間が散々悩んで決断したって、後でボロクソに叩かれるんだぜ。機械の判断に任せりゃ恨みっこなしだろ』