2014年9月16日火曜日

分かれたことで

農業や畜産の分野では、異なる種を掛け合わせることがあると聞きします。
稲や牛など、異なる品種を掛け合わせ、新しい品種を作ることです。
また、じゃがいもとトマト、いのししと豚など、違う種の生き物を交配させることも、それほど珍しいことではないようです。

 自然界では、そのように異なる種が交わることは少ないそうです。
 つまり近い種の生物でも、種が違っているかぎり、自然に混血種が生まれることはあまりないようです。
例えば、犬と狼、ゴリラとチンパンジー、豹とチータなどが、自然に交尾をして、両方の生き物の血を引く子供が生まれることは、非常に稀なのだそうです。
ただ全くないわけではないようで、それが生物の進化に繋がったという説もあるようです。
それにしても自然界で違う種の生き物が交わるのは、相当に近い種の間でなければ起きないようです。

 ところで昨日も書きましたが、ネアンデルタール人とクロマニョン人の混血もいたという考えがあるそうです。
 ただ異論もあるようです。ネアンデルタール人とクロマニョン人は、進化の過程で分岐しているために同じ遺伝子を持っているのであって、生殖の交わりがあったのではないという見方です。
 どちらにせよ、ネアンデルタール人とクロマニョン人は、生き物としてかなり近い種であることは確かなようです。

そこでふと『ネアンデルタール人とクロマニョン人の違いはなんだろう』という疑問が湧いてきました。
かつて抱いていたそれぞれの印象は、『ネアンデルタール人は体力にすぐれているけど野蛮だった』『クロマニョン人は体力では劣るものの知的水準が高かった』というものです。
しかし近年、『ネアンデルタール人は決して野蛮ではなかった』という説を見聞きするようになりました。

ネアンデルタール人のイメージが、実態以上に悪く言い伝えられているという趣旨が込められていると感じます。
ただそうなると、ネアンデルタール人とクロマニョン人の違いが、さらに縮まったような印象を受けます。
違う種に分類されているのですから、遺伝子など明らかな違いがあるのだと思います。しかし、今まで抱いていた印象よりも、ネアンデルタール人とクロマニョン人は、ずっと近しいと感じるようになったのです。

クロマニョン人は現生人類であるホモサピエンスに属するそうです。
ネアンデルタール人は、進化の過程で枝分かれした種であるため、現生人類の祖先ではないそうです。
そして二つの種は、同じ時代に、同じ場所で生きていたようです。生物として、とても似ているのですから、生活圏も同じような環境だったと思います。
そうなると、別々に生活していたとしても、何かしら交わりはあったのだろうと思います。

現代の人間の目線でみると、“人類”と“非常に人類に近いが違う生物”が、共存していた時代があるのだと思います。
ネアンデルタール人とクロマニョン人の目線では、二つの種の“人類”が共存していると、見えていたかもしれません。
たた、クロマニョン人は現在まで種を残すことが出来たのですが、ネアンデルタール人は絶滅してしまいました。

それには色々な説があるようです。そのいくつかは、クロマニョン人が関わっているというものです。
クロマニョン人が、力や数や策をつかってネアンデルタール人を滅ぼしたという説があります。
二つの種の間で対立がありクロマニョン人が勝ち残ったとか、クロマニョン人による虐殺があったとか、クロマニョン人が食べ物を撮り尽くした、などの考え方もあるようです。

また、交配が繰り返されることでクロマニョン人がネアンデルタール人を取り込むような形になったという説もあります。
混血種にクロマニョン人の遺伝子が多くの残り、世代が進むことでネアンデルタール人の遺伝子が見られなくなったということかもしれません。
そういうことが起こり得るのか、専門的なことはわかりませんが、戦いや虐殺という血なまぐさいものではなかったという説だと感じます。

ただもしかしたら、ネアンデルタール人の絶滅にクロマニョン人は関わっていなかったかもしれません。
その可能性もあると思います。そういう仮説もあるようですが、想像だけならもっとずっと多くの状況が思い浮かぶような気がします。
クロマニョン人が、ネアンデルタール人の絶滅に関わっていると考えがちになるのは、現代の人間の固定観念によるのかもしれません。
“異なる二つが同じ場にあると、必ず対立が起こるものだ”

現在、地球にはいくつかの人種があります。しかし肌の色が違っていても、人間はすべてホモサピエンスという、一つの種の生き物です。
まして言葉や風習が違っていても、人間はすべて同じ生き物です。

ルワンダの内戦では、非常に多くの人が虐殺されたといわれています。この内戦は民族対立だったそうです。しかし民族に明確な違いなどなかったといいます。
民族が分かれたことが、ルワンダの悲劇を大きくしたのかもしれません。

人間社会は、分かれることで、対立を生むことがあると思います。

分かれることが、対立を激化させることもあると思います。