2014年9月8日月曜日

採集から生産へ

 人類の進化の過程では、大きな意味を持つことがいくつもあると思います。
 二足歩行を始めたこと、木や石を使うようになったこと、火を使うようになったことなどです。
 農耕を始めたことも、人類にとって大きな意味があったと思います。
 農耕によって、人類は食べ物を自ら作るようになり、食べ物を蓄えるようになったと思うからです。

 農耕は、自ら食べ物を作る行為といえると思います。
 農耕を始める前、人間は自然にあるもの取っていたと思います。動物を狩猟し、植物を採集していたということです。
 そうなると動物が見つからなければ捕まえることは出来ませんし、食べられる植物が生えていなければ採ることは出来ません。
 捕まえられない、採れないということは、即ち食べるものがないということだと思います。
 
 人間は食べなければ生きていけません。食べ物は安定して手に入れられるに越したことはないと思います。
しかし自然に生息する動植物は、多く採れるときもあれば、全く取れないときもあると思います。
少しでも安定させようと、狩猟や採集にも工夫をしていたと考えられます。必要以上に摂らないと決めるなどです。

食べきれないのに、生えている植物を全部採ってしまったのでは後が困ります。
また食べられる植物を採りつくしてしまっては、もうその場所に生えてこないかもしれません。
そうならないように、その日に食べる分だけを採り、あとは残しておいたのかもしれません。
かつての人類は、自分たちが生き延びるために、動物や植物を乱獲をしなかったような気がします。

 やがて人類は、より安定して食料を確保するに、自分たちで食べられる植物を育てようとしたのだと思います。
“食べるために育てる”
それは、食べものを確保するには画期的な発想といえるような気がします。

 そして農耕を始めたことで、食料を保存しようという意識が高まったような気がします。食べられる植物を育てたものの、豊作のときもあれば、思うように収穫できない時もあると思います。
 そうなると食べきれないほど植物が出来た時には、この先、凶作になるかもしれないので、蓄えておこうと考えるものだと思います。
 それが土器や住居を発展させた要因の一つだったのかもしれません。
また、食料を安定して食べられるように知恵をしぼり工夫すること、それは人類の進化にも影響を及ぼしたのではないかと思います。

それに農耕は、人間の社会性を高めることにも繋がっているような気がします。
狩猟や採集にも、複数の人間が協力する必要があったと思います。
協力して獲物を捕らえ、それを分かち合うことで、人間の社会性は育まれたのだろうと思います。

農耕は定住することが有効だと思います。植物を食べられるようになるまで育てるには、それを植えた場所に留まらなければならないと思います。
定住するとなると、住居があったほうがいいと考えられるようになると思います。また住居は食べ物を保存する場所としても使われると思います。
そうして定住し、農耕をするとなると、人間の集団は大きくなるものだと思います。
それが共同体となり、社会となったような気がします。
共に生活する人間の数が増えたということです。
そうなると人間の社会性は必然的に高まるものだと思います。

“食べものを生産して備蓄する”
そう発想をしたことが、人類にとって大きな意味があると思うのです。
 やがて人類は、動物も食べるために育てるようになったのだと思います。
 
 人類が家畜を飼うようになったのは、農耕をはじめるよりずっと早かったようです。ただ、食べるために育てていたわけでないようです。
人類がはじめて飼った動物は、犬の祖先だったと考えられています。狩りなどに役立てたのかもしれませんが、ペットという意味合いが強かったようです。
犬の祖先は、狩りの残りや食べ残しを目当てに、人間の後をついていったのかもしれません。
そうしているうちに、人間が余った食べ物を与えるようになり、犬の祖先は人間に慣れてきたのかもしれません。
やがて人間と犬の祖先は一緒に暮らすようになったのかもしれません。

それから人類は、羊、ヤギ、豚などを家畜とするようになったそうです。
これらの動物はペットというよりも、色々と活用する目的で飼っていたと考えられるようです。肉を食べるだけでなく、毛皮などを採るなどです。
これらの動物を飼うようになったのも、農耕をはじめるより随分前だったと聞きます。

しかしそれは畜産とはいえないのかもしれません。
ただ飼っていることと、養殖することは違っていると思います。羊やヤギなどの動物を、人間が活用するために飼っていたとしても、多くを繁殖させることは難しかっただろう思います。
それがやがて人類は、食べるために動物を生ませ、食べるために動物を育てるようになったのだと思います。

“食べるために育てる”という発想です.