2014年9月20日土曜日

的の中心

“批判するべきだと感じるものの、どういう論旨で批判すればいいのかよくわからない”
 時々そんな様子を目にします。
 結局、批判せずに、なんとなくうやむやになるときがあると思います。
 なんとか批判したものの、何に対して批判しているのかが、定まっていないと感じることもあります。
『大したことじゃないのに騒いでいる』とか『重箱の隅をつついているだけ』と受け取られることがあるような気がします。

「結婚したらどうだっていう話でしょ。そりゃ僕だっていいますよ。平場では」
 この発言に対しする批判も、そのように聞こえます。
腹立たしい発言だと思う人がいると思います。
批判されるべきだと感じる人もいると思います。
実際に批判されているように見られます。
ただ個人的にその批判は、的の中心を射ていないような気がします。

『たとえ平場であれ、プライベートであれ、女性に結婚したらどうだなどということは、セクハラであり、都議会議員がやっていいことではない』
 それはその通りだと思います。
 ただ今回は、実際に平場で発言されたわけではないと思います。

『平場では僕もいいますよ』と擁護する趣旨の意見が出るのは、一口に「平場」といっても様々で、想定される状況が多様すぎることもあると思います。
実際に女性に対する差別的な言葉が発せられたなら、その内容によってはどのような“場”であれ非難されることもあると思います。
ただ今回はそうではないので、批判の論旨が弱いという印象を受けます。
 
 ではこの発言は問題がないのかというと、そうではないと思います。
 個人的には大問題だと感じます。
 この言葉の口調から、「早く結婚したほうがいい」という野次を飛ばした議員を擁護する気持ちがあると感じられるからです。
 また「結婚したらどうだ」という野次を、軽く受け止めているような印象を受けます。
 そのような発言が、男女共同参画社会議員連盟の会長から発せられるのは、都議会として大きな問題だと思います。
 
 数か月前、東京都議会は先進国の首都の議会とは思えない程度の低さを世界に示したと思います。
 先進国には、議会の場で、女性に対して「はやく結婚したほうがいい」とか「産めないのか」などという言葉を発するなどあり得ないと感じる人が大勢いると思います。
 そういう言葉を発した議員が、議員であり続けられることなど、あり得ないと感じる人も少なくないと思います。

 しかも都議会は「産めないのか」といった議員を特定せず、何の処分も下さず、この事を終わらせたと思います。
 野次ですので、周囲の人間は誰が言ったのかわかっているはずだと思います。“特定出来ない”とはすなわち“特定しない”ということだと思います。
 それも先進国の首都の議会として、非常に恥ずかしいことだと思います。
 誰が言ったのかわかっていながら、あえてうやむやにしているのですから、都議会の程度の低さを示していると感じます。
 今からでも、都議会と野次を飛ばした議員が所属する政党は、その責任において野次を発した議員を罰するべきだと思います。

 今回の男女共同参画社会議員連盟の会長の発言は、「結婚したらどうだ」という野次を重く認識していないと感じさせられる口調だったと思います。
 また、その野次を発した議員を擁護するような言い方になっていたと思います。
 記者はそれをもっとちゃんと質すべきだったと思います。
 そして、それについて非難するべきだと思います。
しかし、記者はそれに気づかなかったようにも見えます。
なんとなく批判されるべき発言だと感じたため、その内容を責めたように見えます。
しかしそれは批判されるべき的の中心ではないと感じます。

男女共同参画社会議員連盟会長は、男女は結婚すべきだという思想信条をもっているそうです。
 思想信条は自由だと思います。非難されることではないと思います。
そうなると問われるのは、東京都の有権者だと思います。
そのような思想信条を持っている人物が都民の代表としてふさわしいのか、もし男女共同参画社会議員連盟会長が次の都議選に立候補するなら、東京都の有権者の判断に注視すると思います。

 男女共同参画社会議員連盟会長は、30年以上前には会社員だったそうです。
「平場で女性に平気で言ってましたよ」
 この言い方ですと、この人物は30年前と同じ感覚を持ち続けていると感じられます。
 その点についても、記者がもっとちゃんと質して欲しかった気がします。

 それにしても、30年間前と変わらない感覚をもっていると受け取られる発言をする人物が、東京都議会議員としてふさわしいのか、もし男女共同参画社会議員連盟会長が次の都議選に立候補するなら、その時に東京都の有権者の判断に注目すると思います。