2014年9月25日木曜日

不満や批判も多々あるけど、支持率は高くしておいてあげよう。そうしないと、またこの国は政治家に足を引っ張られる

「いずれ消費税を上げる必要がある。しかし今はだめだ」
 消費税の税率を引き上げる法律を審議している時にも、8%にあげることを“私が決断する”前にも、10%にあげることを“私が決断する”前である今も、そういう意見があったと思います。
 その意見には、もっともな根拠があると思います。

 ただやはり、論理的な弱さがあることは否めないと感じます。
「いつかやらなければならない。でも今やるべきではない」という意見を発する場合、“ではいつ、どのようにしてやるのか”を合わせて述べないと、片手落ちというか、無責任というか、安易な意見だと受け取らざるを得ないからです。
「今はだめだ」というものの、「ではいつやるか」という具体的な話は、消費税を上げる法案が審議されている時も、8%にあげる前も、10%に上げる前である今も、僕は一度も見聞きしていない気がします。

 消費税10%に上がることを先送りするべきだと述べる場合、先送りした後、いつどのような形であげるのか、出来るだけ具体的な案を合わせて提示するべきだと思います。
 ただそれは難しいと思います。

「今はだめだ」という根拠は、現状を分析して論じられることが多いと思います。
現状を分析した意見に説得力を持たせることは出来ると思います。
しかし「ではいつかやるか」という根拠は、楽観的な予測を基にせざるを得ないと思います。
 楽観的な予測を基にした意見は、どうしても説得力が弱くなるものだと思います。

“先送りする”という考え方は、“これから良くなる”ということを前提としていると思います。
 しかし未来のことは誰もわからないと思います。
 そのため、具体的なことを示せないことがあると思います。具体的であるほど、説得力がなくなることがあると思います。
「先送りすべき」という意見は、説得力の大きさという点では、はじめから不利だと思います。
 それは消費税の増税に限らず、多くの事柄にいえる宿命的なことだと思います。仕方ないことだと思います。

 また「先送りするべき」という思考の根底には、『やりたくないことは、出来るだけ後まわしにしたい』という心理があることが多いような気がします。
 多くの場合、自覚していないと思いますし、自覚していない心理を他者から指摘されると強く否定する人もいると思いますが、宿題やお手伝いや期限が決まっている仕事などを、後回しにする心理と似ているものがあるような印象を受けます。
 その心理が思考を導いていると感じます。冷静で客観的な判断をしているつもりでも、その考えは感情に近い心理が引き出しているということです。

 またやはり多くの人は自覚していないと思いますし、自覚していない心理を他者から指摘されると、強く否定する人もいると思いますが、消費税10%引き上げを先送りする意見には、軽減税率の導入が難しいことに対する苛立ちや腹立たしやや口惜しさのような感情が、根っこにある人もいるかもしれません。
 また軽減税率が導入されずに消費税が10%に上がると、売り上げが下がることが懸念されるため、先送りして欲しいと考え、先送りするべきだと訴えている業界や企業があるかもしれません。

今回、消費税の税率を先送りすると、後で実施することが非常に難しくなると思います。
 政治的にも経済的にも、です。
 先送りすると、今よりも明らかに経済が良くならなければ、税率はあげられないと思います。しかし、経済が確実によくなると保証することは誰にも出来ないと思います。悪くなる可能性もあります。
 それに一度先送りすると、その後で増税する判断は格段に難しくなると思います。 
また過去を振り返ってみても、消費税は選挙に大きく関わってきます。

 消費税の税率を引きあげる政策の進め方として、首相が「私が決断します」としたのは大きな失敗だと思います。
 やりたくないことは、“腹をくくるのが早いほどいい”ものだと思います。
『消費税は二段階で引き上げられる』、早くから国民がそういう意識をもっていたほうが、影響が抑えられ、経済にとってよかったような気がします。
先送りするのは、リーマンショックや巨大災害など、余程のことが起きた場合のみ、とするべきだったと思います。

しかし、8%にあげる時、10%にあげる時、その都度、「私が決断します」としたために、国民の中に『今回は上がらないかもしれない』という意識があったと思います。
 それでは、影響をやわらげるために二段階で増税する効果を、弱めさせることになると思います。
 それが8%にあげた後の反動減を大きくした理由の一つになったような気がします。
 10%にあげるのなら、出来るだけはやく方向性を示したほうがいいような気がします。“腹をくくる”のは遅くなるほど、後の影響が大きくなりやすいような気がします。
 しかし首相は「私が決断します」を出来るだけ“先おくり”にし、ぎりぎりまで国民に示さないつもりのようだと聞きます。
 
 数年前、与党の支持率が低いこともあって、政治家は国民を無視するような争いをしていたと思います。それは何年間もつづき、一年ごとに首相が変わったと思います。
 国民を無視した政治家の身勝手な争いが、国をあらゆる点において良くない方向に向かわせたと感じます。
 国民はその印象が強く残っていると思います。
それが意識的にも無意識的にも『与党の支持率は高い方がいい』という感覚を持たせていると感じます。

 今の与党の支持率は『不満や批判も多々あるけど、支持率は高くしておいてあげよう。そうしないと、またこの国は政治家に足を引っ張られる』という国民の意識があるように感じます。

 支持率が高いことをいいことに、個人的にやりたいことをやってしまおうとすると、経済も財政も政策の詰めが甘くなり、そのツケがまわってきているようにも感じられます。