2014年9月27日土曜日

市民が求めたこと

「この事故は危険運転致死傷罪を適用するべきです」
「この事故が適用されるように危険運転致死傷罪を改正するべきです」

 個人的に危険運転致死傷罪には、色々な問題があるように感じています。
 それは法律と市民感覚との“ずれ”が原因の一つだという気がします。
 その“ずれ”には「危険運転致死傷罪」「過失運転致死傷罪」という呼び名の印象にもあるような気がします。
「危険運転」と「過失運転」、この言葉から受ける印象は、大きく違うと思います。

 危険運転致死傷罪は、悪質な運転によって重大な事故を起こした人を厳しく罰して欲しいという市民の声を受けて作られた法だと思います。
 しかし危険運転致死傷罪を作ってみたものの、“極めて悪質で、あまりにも危険”な運転だと感じられても適用されず、疑問の声が発せられることが、何度もあるような気がします。
遺族が死刑に値すると感じるほど、極めて悪質で、あまりにも危険な運転にも、危険運転致死傷罪が適用されないこともあると聞きます。

〈無免許で一晩中運転した後、居眠り運転をして人命を奪った事故〉
〈無免許で飲酒運転し、一方通行を逆走して通行人をはねて命を奪った後、無灯火で逃走した事故〉
市民感覚というか社会通念上“極めて悪質で、あまりにも危険”な運転だと思います。
しかしどちらも事故も、危険運転致死傷罪では起訴されなかったと聞きます。

危険運転致死傷罪では、自動車を運転することが出来るか、出来ないかが問題なのであって、無免許の有無で適用されるわけではないといいます。
つまり免許がなくても、運転しいていたなら適用されないのだと思います。
運転することが出来ない人が運転するのは、極めて危険だと思いますので厳しく罰するべきだと思います。
ただ、自動車を運転する技量を一切持っていない人が、自動車を運転して事故を起こすことは非常に稀だと思います。
それに運転する技量がないとなると、「危険運転」以前の話だという印象を受けます。

また、“飲酒によって運転が困難な状態”だったことを証明できなければ、危険運転致死傷罪は適用されなかったようです。
事故を起こすのですから、それまで運転している場合がほとんどだと思います。事故の前後、実際に運転しているとなると、“運転が困難な状態”とはいえないため、危険運転致死傷罪は適用されなかったそうです。
運転できないほど酩酊しているのに運転することは非常に危険だと思います。
しかし、運転できないほど酔っぱらった状態で運転して事故を起こすことは、稀だと思います。

そう考えると、せっかく法を作っても、実際にその法が使われることは少ないだろうと思います。
せっかく法を作ったのに使われないのでは、何のために法律を作ったのか、わからないような気もします。
多くの人がそう感じたのだと思います。
危険運転致死傷罪が適用されないことに関して、理由や問題点も指摘されていたと思います。
そのような声に応じる形で法律が改正され、自動車運転死傷処罰法が作られたのだと思います。
そのなかに危険運転致死傷罪と過失運転致死傷罪があるという形になったのだと思います。

この改正で、上に書いた二つの事故に危険運転致死傷罪が適用されるだろうか、と考えてみます。
無免許で一晩中走りまわった後で人をはねた事故には、改正された後の危険運転致死傷罪でも適用される可能性は高くないような気がします。

ただアルコールの影響については改正されたと聞きます。
正常な運転に支障が出るおそれがある状態で自動車を運転した場合、危険運転致死罪が適用されるようになったようです。
また一方通行の逆走も追加されたようです。
そうなると、改正前は危険運転致死傷罪が適用されなかったような事故も、今後はこの法律で起訴されることもあると思います。

しかし今でも、危険運転致死傷罪が適用されず、それを求める声が聞かれます。
問題点が指摘され、法律が変わったはずですが、それでも市民から改正前と同じ声が聞かれているような気がします。
そうなると、やはり市民感覚と法律に“ずれ”があるように感じられます。

処罰感情は被害者との関係性など、個人個人によって違うと思います。
また大衆の処罰感情は、被害者が誰かによって違うものだと思います。
しかし事故の態様や、事故を起こした者の落ち度は、被害者が誰だろうと変わらない場合もあると思います。
重い罰を科す法は慎重に用いるべきだと思います。

それにしても市民の求めによって危険運転致死傷罪が作られたのだと思います。
また市民の求めによって改正され、自動車運転致死処罰法が作られたのだと思います。
しかし今でも市民の声が聞かれています。

“市民が求めているのはそういうことじゃない”ということになるような気がします。