2014年9月23日火曜日

人間の形で

『アニメに登場する戦闘メカは、もう人型ロボットじゃなくてもいいのではないだろうか』
 以前、そのようなことを書いたことがあります。
 僕は子供のころから、戦闘用ロボットが活躍するアニメが好きでした。カッコいいと感じていたからだと思います。

 戦闘用ロボットですので、当然ですが敵と戦います。
 僕が子供のころは、正義の味方が戦闘用ロボットに搭乗し、悪者を倒す物語がほとんどだったと思います。
 その悪者は、宇宙からやってくるなど、人間とは明らかに違う存在であるものも多かったと思います。
 そのため戦闘場面が多いものの、“戦争”という描き方をしたものは少なかったと思います。

そんな時、「宇宙戦艦ヤマト」が放送されたような気がします。
それはアニメで戦争を描いていたと感じます。
それまでのアニメでは、“戦闘”を描きながらも、“戦争”として表現されることが少なかったため、多くの子供や若者に強い印象を与えたように思います。
この作品が長い間人気を得ているのは様々な理由があると思います。アニメで、戦争を描いたことは、理由の一つだと思います。
あのころアニメは、あくまでも“お子様向け”と認識されていたため、戦争を描くことは衝撃的だったような気がします。

「宇宙戦艦ヤマト」が世に現れた後も、ロボットアニメは“お子様向け”という認識で作られるのが当たり前だったような気がします。
それから数年後、「機動戦士ガンダム」が初めてテレビ放送されたと思います。
 この作品が長く人気を得ているのは様々な理由があると思います。ロボットアニメで、戦争を描いたことはその理由の一つだと思います。
 あのころのロボットアニメは、あくまでも“お子様向け”だと、広く認識されていたため、戦争が描かれていることが衝撃的だったような気がします。

 初めて「機動戦士ガンダム」を見た時、“ロボットアニメはお子様向け”という固定観念を打ち壊そうという、つくり手の意図のようなものを画面から感じ取っていたような気がします。
 また、つくり手の葛藤のようなものも、はじめてテレビ放送された時から感じていたように思います。
 戦争をリアルに描こうとすると、“ロボット”であることが足かせになっていると感じたのです。
  
それに高度なSF考証を取り入れるにも、“ロボットアニメ”であることがある種の制約になっていたような気がしていました。
ただその反面、『自分たちが作っているのは、あくまでも“ロボットアニメ”だ。ロボットアニメで、SFや戦争をちゃんと描こうとしているんだ』いう意気込みというか、意図のようなものを勝手に感じていました。

リアルに戦争を描写するのはいいのだけど、やはりアニメという媒体ですと、カッコいいメカを登場させなければならないのだと思います。
SF考証を高度にし、空想の戦争に現実味を持たせるには、戦闘メカを人型ロボットで表現しなければならないことは、やはり制約だと思います。

カッコいいメカが登場することも、アニメの魅力の一つだと思います。
そうなると、カッコよければ人型ロボットでなくてもいいような気がします。
しかし考えてみれば、人型ロボットよりもカッコいい別のメカを生みだすのは、相当に難しいと思います。

戦闘機やロケットやレーシングカーなども、カッコいいと思います。
必ずしも人型でなくても、人は“カッコいい”という感覚を得られるのだと思います。
それでも、アニメで戦闘をするメカとなると、やはり人型ロボットを凌ぐものを生みだすことは容易ではないような気がします。

それは固定観念もあるだろうと思います。
つくり手側も受け手側も、『アニメの戦争は人型ロボットが登場するものだ』という観念があるように感じられます。
そしてそれ以前に、『人型ロボットがカッコいい』ということ自体が、心理に根付いているような気がします。
そしてそれ以前に、“人型”に対して好意的な印象を受けるような心理が、人間の中にはあるような気がしてきます。

少し前にインターネットでみた記事に、「人間が人型を作りたがる理由は?」ということのついて取り上げているものがありました。
現在、様々な人型ロボットが実際に世に出ています。そのようなロボットだけでなく、大昔から人間は“人型”のものを作ったり、描いたりしてきました。それはどのような心理があるのか、考えを聞かせて欲しいという趣旨の問いが質問サイトにあったそうです。
僕は記事しか読んでいませんので、質問サイトは見ていませんが、実に様々な考えが返答として投稿されたようです。
もしかしたら、アニメで描かれる戦闘メカも、航空機型や戦車型より人型ロボットをカッコいいと感じるのは、人間の心理の深い部分に根があるのかもしれません。