2014年10月10日金曜日

通り過ぎていくものに

「名画」という言葉を耳にする機会が減っていると感じます。
何度か書いていますが、以前使っていたパソコンで「m・e・i・g・a」とローマ字入力しても、変換候補に「名画」がありませんでした。
しかし今使っているパソコンは、変換候補の一番目に表示されます。
多分、パソコンの機能がよくなったのだと思います。
僕が「m・e・i・g・a」と入力すると、「名画」に変換することが多いので、パソコンはそれを最初に表示するのだろうと思います。
おそらく、世間一般に「名画」という言葉の使用頻度が高くなったというわけではないのだろうと思います。

言葉が使われなくなる理由の一つに、それが表すものがなくなることがあげられると思います。
「名画」の場合、その概念がなくなりつつあるような気がします。
“いい映画”という概念なら、今でもあると思いますし、まだ当分の間なくなることはないと感じます。
 しかし“名画”という概念は、かつてより薄らいでいるような印象をあります。
 そして、薄らぎ続けていくような気がします。
 そしていつか、なくなってしまうような気がします。
 そして「名画」という言葉も消えてしまうような気がします。

 では“名画”の概念について考えてみます。
 今回は辞書などを引かずに、あくまでも個人的な受け止め方を書きます。
“長く人々の記憶に残り続けていく映画”そんな作品を“名画”だと感じます。
 一人だけがとても好きなでも、多くの人が『ひどい作品だ』という映画は、“名画”とは呼ばれないような気がします。
 
ただ名画でなくても、好きな映画や、いい映画はあるものだと思います。
 僕も『決して名画ではないけど、いい映画』と思っている作品や『決して名画とは呼ばれないだろうけど、個人的にとても好きな作品』がいくつかあります。
 また“多くの人”と言っても、統計を基にしているわけではありません。それに「何人以上が高評価をしたら名画に認定します」という明確な基準があるわけではありません。
 ただ基準はなくても、多くの人の心に残る映画でなければ“名画”とは呼ばれないと思います。

 また“長く記憶に残り続ける映画”となると、必然的に公開されてからある程度の年月が過ぎていることになります。
 公開されたばかりの映画は、“いい映画”ではあっても“名画”という概念には当てはまらないような気がします。
“いい映画”のなかには、記憶の中に留まり、それをずっと残しておきたいと思える作品があるものです。
そう思える作品が、年月が過ぎて“名画”と呼ばれるような気がします。

“名画”は「多くの人から心に残しておきたいと思われ、その通りに多くの人が心に残し続けられた映画」といえるかもしれません。

“名画”の概念が、社会からなくなりつつあるのは、映画に対して『残していきたい』という思いを抱かなくなったからかもしれません。
 家庭用DVDやブルーレイディスクだけでなく、今ではインターネットでいつでも気軽に映画を見ることが出来ると思います。
 手軽に見られるようになったことで、作品一つ一つに対する思い入れが薄らいでいるような感があります。
 
 かつて映画は映画館でしか観られなかったと思います。
 僕が映画を観るようになったころには、テレビ放送が行われていましたが、ビデオなどの家庭用録画用機器は、まだ世になかったと思います。
 映画は、映画館で上映されている時に、映画館に足を運んで、お金を払ってみるか、テレビ放送されるか、それしか見ることは出来ませんでした。
 見たい時に、見られなかったのです。

 またビデオ、DVD、ブルーレイディスク、パソコンのハードディスクなどがありませんので、映画を自分の手元に残しておくことは出来ませんでした。
なんとか映画を手元に残しておけるものは、パンフレットやチラシ、販売用ポスターなどだけです。
それは映画を思い出させるもので、映画の中身そのものをみることは出来ません。

そのため、自分の記憶の中に残そうという意識があったような気がします。
好きな映画は、いつまでも自分の内側に保存しておきたいという思いです。
 それは“映画に対する思い入れ”といえるかもしれません。

それが、いつでも手軽に作品を見ることが出来るようになったと思います。それでは思い入れが強くなりにくいような気がします。
そうなると、“名画”という概念も薄らいでいくような気がします。
 
 映画は心に残していくものではなくなっていくのかもしれません。
映画は、泣いたり笑ったり、なにかを感じたり、考えさせられたり、見る物にそれらを誘いながら人の心を通り過ぎ、また新しい作品がやってくる。そういうものになっていくのかもしれません。
 それは善し悪しで語るようなことではなく、時代の変化なのかもしれません。

 ただ個人的に少し寂しいような気がします。