2014年10月26日日曜日

知られざる素通り

 僕は電子書籍を利用したことがありません。またインターネットでは、著作権の適用期間を過ぎた文学作品を無料で読めるサイトがあると聞きますが、閲覧したことがありません。
 振り返ってみると、インターネットで長い文章を読む習慣がないような気がします。
 必要がある時や、興味を引かれた記事などは、長い文章も読んでいます。
ただなんとなく、インターネット上の文章は、読む意識の集中度が低いような気がします。
そのためか、頭の中に残りにくいような気がします。

“頭のなかに残っていない”
それを自覚することは難しいような気がします。
頭の中を素通りしたことは、“素通りした”それ自体が残らないからです。
せっかく多くの情報を読んでも、自分に取り込まれることはなく、しかもそれを自覚できないということです。
多くの栄養素を含んだ食べ物も、吸収されずに、ほぼすべてを排泄していたのでは、身にならないと思います。

“多くの情報に接している”ということに満足感を覚えることはあるかもしれません。しかし、実はあまり身になっていないような気がします。でも自分では、なかなかそれに気づかないような気がします。
そこでインターネットで興味を引かれた記事があると、印刷するようにしています。
また、必要な資料がPDF形式で公開されていると、何十枚でも印刷することがあります。

 そうして感じることは、紙に印刷したほうが、読むという作業に集中しやすいということです。
 また集中して読んだ内容は、自分のなかに残りやすいということです。
 人それぞれだと思いますが、媒体や表現の仕方によって、頭への入り方が違うと思います。
 記録として残る形で表されているほうが、頭にも心にも入りやすく、残りやすいような気がするのです。
 人間は、“しっかりと記録が残る”と感じ取るもの、また“記録が長く残る”と感じ取られるものを、『重要なことだ』とか『大切なことだ』と認識するのかもしれません。

少し前、学校の授業でタブレット型端末を使用している国に関する話題を、何度か見聞しました。
 小学校で、本格的にタブレット型端末を用いた授業が行われているそうです。
日本は出遅れているという印象を受けたものです。
 それが最近、あまり効果がなく、その割に費用が掛かっていると、その国では批判の声が上がっていると聞きました。

 全生徒にタブレット型端末を誂えるため、それなりにお金が必要になるようですが、その割に、目立つほどの学力向上がないようです。
 もしかしたら、指で画面をなぞれば消える内容は、頭に残りにくいのかもしれません。
人間は簡単に消せるものを『大切なことだ』とか『重要なことだ』と、認識しにくいためかもしれません。
立体的な映像はわかりやすいものの、頭の中を素通りしやすいのかもしれません。
データが保存されていても、手で触れたり目で見たりするなど生物の感覚で捉えられないため、『大切だ』とか『重要だ』とは認識されにくいのかもしれません。

またタブレット型端末を取り入れた授業の問題点として、問題を自ら解決する能力が落ちていると指摘されているようです。
 個人的にあり得ることだと感じます。
 タブレット型端末を使って模範解答が簡単に引き出せるなら、自ら問題に向かい合う意識が高まらないような気がします。

 これは外国のことですが、日本人はインターネットが普及する前から、そのような心理が見られると感じます。
“何事にも模範回答があり、難しい問題に直面したときほど、自ら解決しようとせず模範解答を探そうとする。また、模範解答を知っている人間を探して出して教えてもらおうとする”
日本人はそんな心理的傾向が強いような気がするのです。
 また「あんたの立場なら模範解答を知っているべきじゃないか。どうして知らないんだ。あんたのせいでこっちは困ったことになったんだ。あんたの責任だからな」と詰め寄り、非難することもあるような気がします。
 そしてインターネットは、そのような心理を助長しているように感じられます。
 
 それとタブレット型端末を授業に取り入れている国では、生徒の読書量が低下しているそうです。
 紙の本だけについて言われているのか、電子書籍も含めてのことなのかわかりませんが、ただ読書量の低下は、この国の小学生に限ったことではないような気がします。
 日本でも、多くの年齢層で読書量は減っているような気がします。
 統計などを調べたわけではありませんが、紙の書籍と電子書籍を合わせても、読書量は減少傾向が続いている感があります。

 僕はタブレット型端末を使ったことがありません。パソコン自体、毎日使っていますがあまり好きになれません。そのためタブレット型端末を授業に使うことに、ことさら否定的な見方をしてしまうのだと思います。
考えてみれば、タブレットを授業に使うことそれ自体を否定ことはないと思います。
新しい技術や道具を用いることで、いい結果がでることはよくあると思います。

ただ何事もそうですが、道具や技術には効果的な使い方があると思います。