2014年10月24日金曜日

道徳の時間

 子供のころ、道徳の授業が好きでした。
 物語仕立てになった読み物を用いた授業が多かったような気がします。
 僕はそれが好きだったのです。物語に触れることが好きだったのです。
先生に指されて意見を言うこともあったのかもしれませんが、まったく覚えていません。
プリントや教材に何かを記入した覚えがありますが、それはつまらなかったと感じていた気がします。
 道徳は“勉強”ではないので“楽”だと感じていたのは確かですが、読み物が面白いと感じていたため、その授業が好きだったのだと思います。
 
道徳の授業で読んだ物語をいくつか覚えているので、それについて書くつもりでした。
しかし思い返しているうちに、別の読み物だったような気がしてきました。
国語の授業、図書館にあった冊子や書籍だったかもしれないと思えるのです。

『教科書を使って考え方を教えられ、プリントにそれを記入させられるよりも、道徳心を込められた物語は印象深く、記憶にも残っている。おそらく人間形成にも、そのほうが効果的だろう』
 そう言いたかったのですが、記憶が曖昧なので具体的なことを書くと間違ってしまうかもしれません。
 
ただやはり道徳心や倫理観は、先生が黒板に書いたことをノートに書き写して身に付けるものではないような気がします。
それで身につくものではないような気がします。
ただ思想教育なら、そういうやり方を使うこともあるかもしれません。

道徳教育は、思想教育ではないと思います。
思想や主義主張を教えるのが道徳教育ではないと思います。
 それよりもっと奥深くにあるものを、教えるのが道徳だと思います。
 
 近年の人間社会全体には、自分の権利に対する意識が高まり、自己の正当性を強く訴える傾向があるような印象があります。
 それ自体は悪いことではないと思いますが、自我を守ることが他者への攻撃性に直接的に転嫁され、それが強まるばかりで、穏やかな解決を求める意識が一切沸き上がらなくなっている感があります。

 傍からみれば明らかに非がある人物が、自分は絶対に正しく、相手が絶対に間違っていると本心から信じ、その相手をひれ伏させたり、過剰に攻撃したりすることが増えているような気がします。
 そんな出来事を見聞きすると、人間社会全体に道徳心や倫理観が欠けていきつつあるように感じます。

善と悪の概念や、他者に対する思いやり、他者との調和など、人間が社会をつくるうえで、またその社会の中で暮らしていくために必要なことを、誰もが無意識に失ってると感じることがあります。
 そしてその傾向は、人間社会全体で強まり続けているような気がします。
 道徳の授業は、それを引き留めることに、少しでも役立てられそうな気がします。

それに人間社会には、答えのない問題がいくらでもあると思います。
“大勢を守るために、少数を犠牲にすることはゆるされるのか”
 これは答えのない問いの典型といえるかもしれません。
 現実の人間社会には、そんなことはいくらでもあふれていると思います。
また、善と悪の概念では括れないことがいくらでもあると思います。
 それに、自己と他者の関係も、じつに多様だと思います。
 自分の正当性を押し通すことが、自分のためにはならない状況も多々あると思います。
 しかしそれに気づくには、広い視野や、柔軟な思考や、洞察する力が必要だと思います。
 それらは道徳とは切り離せないことだと思います。
 道徳教育は、それらを育むことを目的とするべきだという気がします。

 個人的に道徳教育は、心理学や哲学に寄っているべきだと思います。
 思想や主義主張に寄るべきではないと思います。
 心理学や哲学に近しい授業ならば、教科書の内容が書いた者によって大きく違うことはおこりにくいと思います
 学校で教えることは、書いた人によって教科書の内容が変わるような事柄ではないほうが好ましいと思います。

道徳教育は思想教育ではないと思います。思想教育であってはならないと思います。
道徳の授業は、思想や主義主張よりも、もっと根源的なことを教えるべきだと思います。
それには普遍性があると思います。
愛国心は思想に通ずると思います。そうなると愛国心は道徳の授業で教えるような事柄ではないと思います。
国が認めた教科書を使って、愛国心を教えるような授業は道徳教育ではないと思います。

愛国心を否定するつもりはありません。人間は自分の国や、故郷や、暮らしている場所や、家族や、所属している集団などに愛着をもつものだと思います。
それは自分自身を反映していると感じられることが、理由の一つであるような気がします。
そして多くの場合、生活の中で、様々な人、事、物から影響を受けて、育まれていくものだと思います。
“教えられて身につけること”ではないと思います。
“愛”とはそういうものだと思います。

 道徳教育は国が行うべきだと思います。殊に現代社会ではとても重要になっているような気がします。
しかし思想教育は、国や権力者が行うべきではないと思います。

それはとても危険なことだと思います。