2014年10月9日木曜日

国会の無駄使い

 あれはうちわ以外の何物でもないと思います。
 また、うちらでしかないと思います。
 いさぎよく違反したことと軽率だったことを認め、謝罪するべきだと思います。
 それで済ませるべきだと思います。

 “うちわに見えるかもしれない”ではなく、“どう見てもうちわにしか見えない”と思います。
社会通念上、誰がどう見てもうちわだと思います。
間違いようのない、正真正銘のうちわだと思います。

「うちわと解釈されるなら、うちわとしての使い方も出来る」
「うちわに見えるかもしれません」
 誰がどう聞いても、こじつけだと思います。
 いい大人が本気でいう言葉ではないと思います。
 まして国会という場で、政治家が発する言葉ではないと思います。
 まして法務大臣という立場の人物がいうべき言葉ではないと思います。
 
 法相の口調や表情などから不誠実な態度だと感じた人もいるかもしれませんが、“誰がどう聞いてもこじつけにしか聞こえない”そんな弁明をすること、それ自体が社会では不誠実だと受け取られることが多いと思います。
 
 公職選挙法によって、政治家が有権者に有価のものをあげてはならないとされています。
ポケットティッシュだろうと、うちわだろうと、政治家が有権者に配ってはならないと思います。
多くの政治家は、それをわきまえているのだろうと思います。
それでも法務大臣がうちわを配ったのは、公職選挙法を知らなかったのか、知っていながら違反したのか、どちらかだと判断するしかないと思います。
どちらであれ、法務大臣にはふさわしくないと思います。

ただこのうちわは、有価ではあると思いますが、その価値は相当に低いと思います。
法務大臣が公職選挙法にふれることをしたのですから、何かしらの処分があってしかるべきだと思いますが、辞任や更迭というほど重大だとは感じらない気がします。
法務大臣は非を認めて謝罪し、首相は厳重に注意をする、今回のところはそれで収めていいような気がします。
仮に次回があったとしたら、そのときは有価の価値の大きさに関わらず、重い処分をするべきだと思いますし、野党は強く追及するべきだと思います。

しかし、どう見てもうちわにしか見えないうちわを、うちわに見えるかもしれないがうちわではない、などと極めて稚拙で低次元な言い訳を、国会という場で、法相ともあろう人物が、本気でしているように見えます。
 小学二年生の二学期あたりから、論理的に無理があるこじつけを言うようになりますが、同じ次元に聞こえます。
そんな応酬に国会が使われていると思うと、『国会の無駄遣いだ』という気がします。
ひいては『税金の無駄使い』だと感じます。

また国会中継の映像で「ねんごろじゃないのか」という野次を聞きました。
その後、その野次を飛ばした政治家は、釈明したそうです。インターネットでそのやりとりをすべて文字に起こしたものを見ました。
それが本当に全てのやり取りなのか、また何者かの創作ではないのか、確認はしていません。あくまでも、個人的に目にしたものだけで考えますが、釈明の論旨は下のようなものだと思います。

『ねんごろとは性的な関係の意味合いで言ったのではない』
『九州では性的関係ではなく、親しい関係を表す言葉としてよく使われている』
『議員と個人ではなく、議員と団体が親しい関係だったという趣旨だった』
『性的な関係があると受け取られたことは誤解であり、そういう非難には憤りすら感じる』
『結果的に誤解を与えてしまったことは謝罪する』

個人的に「ねんごろ」という言葉は、個人対個人の関係において使われる言葉だと感じます。性的な関係はもちろんですが、性的ではなく親しい関係も、個人と個人の間柄に対して使われる言葉だと感じるのです。
個人対団体に対して「ねんごろ」という言葉を用いるには、違和感があります。

「宿泊先まで知っているっていうのは、ねんごろな関係じゃねえか」
 こうして文字に起こすと、上に書いた釈明を当てはめようと思えば、あてはまるように見えます。
 しかし、これは文字で書かれて表されたのではありません。
 声に出して発せられた言葉です。
 
 声に出して発せられた言葉と、文字で書いて表された言葉では、大きな違いがあると思います。
特に野次は、語調や言葉を発するタイミング、などが意味合いを帯びるものだと思います。
個人的な印象ですが、語調やタイミングから“団体に所属する男性個人と、女性政治家個人が、性的関係があったのだろう”という意味合いを帯びた野次だと感じます。
本当に性的関係があったと考えているのではなく、品性のない“からかい”の類だと感じます。

個人的な印象ですが、女性に対して『性的関係があったのだろう』という品性のない“からかい”を発するのは、この政治家に性的差別に関する観念が希薄だからだと感じます。

個人的な印象ですが、品性のない“からかい”を責められたため、とにかく使える言い訳をかき集め、それを総動員して釈明していると感じます。
この政治家は、文字にすれば、なんとか当てはまる言い訳を、すべて持ち出して切りぬけようとしているように感じられます。

個人的な印象ですが、政治家の次元の低さと、質の低さを感じます。
何事も、選ばれる数を絞りこむのは、質を向上させる方法として使われることです。

それ以前に、何事も質の悪いものを選ぶべきではないと思います。